Pretty lip・3

 それじゃあ、と終業式が終わると共に友人たちが散っていく。

「葵、遊びに行こうぜ」

友人に声をかけられるが。

「悪ぃ、生徒会の予算会議が押しちまって終わってねえんだ。今から続きやるんで行けねえや」
「何だかんだ言って真面目だよなぁお前……しょーがねーか。んじゃ、またなー」
「おう、良いお年をってな」
「気が早ぇよ」

あははは、と友人に釣られて笑った。
切れた唇はあれから、自分用に買ったリップクリームをつけていたおかげかすっかり良くなって。



「さて、と……」

まだざわつく廊下をいつになくゆっくり歩く。
だが生徒会室に向かっているわけではない。

「わぴこ、千歳は?」
「ちーちゃんなら挨拶してすぐ飛んで帰ったよ」
「そっか、サンキュ。次は初詣で会うな、良いお年をな」
「うん! 葵ちゃんもねっ」


廊下でわぴこと別れると今度は秀一と出くわす。

「予算会議はどうなったんだい?」
「お前なぁ……わかってて言ってるだろ」
「あっはは、ごめんごめん。まあ削減案はここに上げてあるから、あとは理事長の承認印だけ押してもらえば大丈夫」
「さすがだな……持つべきものは優秀な副会長だぜ」
「おだてても何も出ないよ。千歳さんなら慌てて帰ったみたいだけど、女性の準備には時間がかかるものだから、もう少ししてから行ったほうがいいんじゃないかな?」

お見通し、ですかねぇ。

「ぼくは今日わぴこのうちに泊まるから、何か連絡があればわぴこの家に電話でもくれたらいいよ」
「両親公認の恋人同士ってのは強いよなぁ……」
「それなりに苦しい部分もあるけどね……まあお呼ばれしたのは有難いことだから。それじゃあ葵、良いお年を。また初詣で会おう」
「おう。まあ何だ、がんばれ未来の旦那様」
「了解、頑張るよ」

クスクスと笑う秀一にも手を振って、俺は一瞬考え。
ああ、そうかクリスマスだと。


千歳のことだからケーキは買ってあるんだろう。
俺が買っていくとカブるはずだから、そうだな……






フルーツの盛り合わせあたりを手土産に、と商店街のほうに歩き出す。
相変わらず風は冷たく頬が切れそうだが、今日はその冷たさすらも心地よかった。



気づけばすっかり日も暮れて。
商店街の並木を彩るイルミネーションが幻想的な雰囲気をかもし出していた。

俺は近くの公衆電話に入り、もどかしくダイヤルを回す。


「はい、藤ノ宮です……」
おおよその予想はついていたのだろう、少し緊張した千歳の声。
「葵だけど」
「うん……」
「一応念のために聞いとくけど、オバサン帰ったんだよな?」
「……ふふっ! ちゃんと今朝スイスに帰りましたよーだ。お仕事忙しいんですって」
「そっか……いやー千歳のお袋さんってのはわかってても苦手なんだよなあ」
「まあわからないでもないわ。私も苦手だもの」
「ははは、そっか。ん、と……じゃあ、今からお前ん家行ってもいいか?」
「ええ、大丈夫よ。せっかく来てくれるんだし、ケーキくらいはお出ししますわ」
「そりゃ有難いね、んじゃ30分で行くよ」
「わかったわ」




うん、やっぱりケーキにしなくて良かった。












「いらっしゃい」
玄関先で俺を出迎えてくれたのは、首元にファーのついた真っ白なワンピースを着てドレスアップした千歳だった。
「ちょうど30分ね」
「お前、出て待ってたのか?」
「今出たところよ。さすがに寒いもの」
「ならいいけど……」

「さ、あがって。クリスマス本番じゃないけどケーキ食べるくらいいいわよね」

言いながら居間へと先導する千歳に俺は苦笑した。


「勘違いしてるヤツも多いけど、今がほんとのクリスマスなんだぜ?」
「え? だって今日はクリスマスイヴじゃない」
「クリスマスイヴのイヴはevening、つまり夕方……日が暮れた後のことなんだ。前夜って意味じゃない。まあ今じゃ前夜って意味合いも大きく言えば含まれてるって説もあるんだけど

な。ミサを前夜に行うからとかいうことで。でも一応、クリスマスの夕べって意味が正しかったはずだぜ?」
「ええ!? そうなの!?」
「ああ、教会歴では日没をもって日付の変わり目とするって考えがあってな。つまりクリスマスイヴは24日の日暮れから25日の日暮れまでってことなんだよ」
「知らなかった……よく知ってるわね」
「雑学の本で読んだ」
「ふうん……じゃあ、今がクリスマスなの?」
「そうなるなー。というわけで千歳、メリークリスマス」



時間を置いては渡しにくくなる。
絶対タイミングが取れなくて困る。

だから。


俺はカバンの中からそっとあの紙袋を取り出した。
千歳の目の前に差し出してやると、千歳は目を丸くして俺とそれを交互に見つめる。

そして、花がほころぶような笑みを見せてそれを両手で受け取った。



「あけていいの?」
「おう、てかまずは座ろうぜ」
「あ、待って。私も葵にプレゼントがあるの…………はい、これ……メリークリスマス、葵」

千歳が差し出したのはシックな包装がなされた小さな箱。
「葵、ピアスしてるでしょ? 似合いそうだなと思って」
「そんじゃ同時にあけるか」
「ええ!」


コートを脱ぎ、ソファに腰掛けてそれじゃあ、と一呼吸置いて。

そっと、その箱を開けると小さなシルバークロスのピアスが入っていた。

俺はさっそくそれを今しているピアスと取り替える。



「こ、これ……探したの?」
千歳が驚いたように言った。

「お前が使ってる銘柄覚えて、あとは香りとかでな。違ってたら悪ぃ」
「ううん、これよ。凄い……嬉しい……」


どうやら間違ってはいなかったらしい。
そして、その袋にはもう一つあるものが入っているわけだが。


「これは……?」
手のひらに乗る、小さな箱。
俺がもらったピアスの箱と同じくらいの大きさか。


「あ……!!」

そっとそれを開いた千歳の顔がポッと薔薇色に染まる。
大層なものは買えなかったが、それでも頑張った、プラチナのリング。
どんな服装にも合うようにシンプルなデザインのものを選んだのだが。
気に入ってくれるだろうか。



俺がおそるおそる千歳を見ようと顔を上げた瞬間だった。



「葵!!」
「うわあっ」

千歳が首に飛びついて来たのだ。
そのまま俺の肩口に顔をうずめ、肩を震わせる。

「遅くなっちまったけど、俺から言わせてくれ。千歳、お前のことがずっと好きだった……俺の恋人になってくれねえか」

彼女の震える肩にそっと手を添えて、区切るように、大事に言葉をつむいだ。

千歳はしばらくしゃくり上げていたが、ようやく落ち着いたのか泣き笑いの表情で俺と目を合わせ。
「私も、大好き……私でよければ、喜んで」

と、穏やかに。
ああ、なんだろう。


こんなに幸せなクリスマスを過ごしたことってなかったかもしんねえな……

「なあ……秀一は今日はわぴこのとこにお泊りだそうだぜ」
「わぴこと北田くんはお互いの両親公認の仲だものね」
「ああ。だからさ……俺も、泊まってっていいか?」
「…………うん」


ふたりして照れ笑いを浮かべ、俺たちはようやくクリスマスの晩餐にとりかかろうということになった。
二人きりの時間は、そのあといくらでも取れるのだから……

今はクリスマス……Christ(キリスト)のMass(ミサ)なんだから、静かにこの夜に感謝しよう……







「……ありがとう、葵」

「……ありがとう、千歳」




俺たちは時折。
潤った、やわらかな唇同士を触れさせて。
お互いの熱を分け合うだろう。

やがて、夜が深まればそれは唇だけではなく…………。




メリー・クリスマス、だ。

長年の両片思い、これくらいは……許されるだろ?









(完)