(仮)35

桐光山を出て寮へ戻る時、少し肌寒い風を切って進むバイクにまたがって先輩の体温を感じながら思ったことがあった。




頑張りなさいよと言った瑛さんと、焦った様子の先輩。
あの時は、どういう意味の会話が交わされていたのかわからなかったけれど。

こうして先輩の温もりを感じて、離れたくないなぁ、なんて思ったら


ああ、そうか、って。
あっさり、わかってしまった。


今日、先輩と未来を誓い合ったんだ。
恋人同士になったんだ、私。

もう、昨日のように何も知らない私ではなくて。
先輩の部屋へ行くこと、それが何を許すと言うことなのかを知っている。


「その先を見る」勇気は、今日。
命懸けで示したのだから。


そして、先輩が私を自分の部屋に帰らせようとするだろうなっていうのも、何となくだけどわかってる。
きっと先輩のことだから……根は真面目で優しい人だから……

いくら想いを通じたとはいっても出会って間もない私に手は出せない、と思っているんじゃないかな。


私が昨日、先輩の部屋で思ったように。
軽薄だと思われるのを恐れているんじゃないか、と思う。





ねえ、先輩。
案外嘘が下手なんですね。
さっきからずーっと、口数も笑顔も減ってますよ?





意外ではあるけれど、先輩が少し取り乱してくれたおかげか私の方は驚くほど冷静だった。


出会って2日の相手に告白をして、今から部屋へ行って


この人に、抱かれるのかもしれないんだと。


もちろん、想像したらすごく恥ずかしくて
顔も赤くなってただろうと思うけど。
精一杯がんばって
私は構わないのだと態度で示してみよう、と思ったのだった。













でも今、早くもその決意が崩れ去ろうとしていた。

抱きしめられたまま、真っ向から目を見つめて言われた言葉に、ただ一言はいと答えることも出来なくて。




今だってこんなに近いのに。
こんなに、心臓がドキドキいってるのに。


私たちが今からしようとしている事は、もっと近くに互いを感じる行為で。


耐えられるんだろうか、と不安になる。


だけど先輩は真剣な表情で私の答えを待ってて……



まだ勇気が出ませんと言えば、先輩はまた苦笑いをひとつ浮かべて、昨日のように私をただ抱きしめて眠るのだろう。
今の関係でそれがどれほど酷い仕打ちなのかは、いくら私でもわかる。







触れさせてくれと、先輩は言った。


私は?
どうしたいんだろう。


私は ────

「私も、先輩に、触れたい……です」


するりと、口から零れたのは紛うことなき私の本音だった。

この人に触れたい。

もっと近くに感じたい。

なれるものなら、ドロドロに溶けて、混ざり合って、ひとつになってしまいたい。



この人の全てが



欲しい。



「私って、けっこう欲張りだったんだ……」
「琴馬?」
「ふふ。先輩の全部、ぜーんぶ欲しいみたい、です」


先輩の背中に腕を回してぎゅっとしがみつく。
ドッドッと駆け足の鼓動が聞こえた。

先輩は、馬鹿と焦ったように呟いて、私の頭を撫でて。


「頼むから、あんまり可愛い事ばかり言わないでくれ。俺の理性はそんなに頑丈に出来てねぇんだよ」


髪を梳くようにして撫でられて、心地良さに目を閉じる。



優しい先輩。
でも、ね。
女って、覚悟を決めたら怖いみたいですよ?








私は先輩の胸をやんわり押して、少しだけ上体を離し

両腕を先輩の首に巻き付けて

先輩の髪に指を絡ませて

思い切り背伸びをすると


生まれて初めて、自分から唇を重ねた。



すかさず、先輩の腕が私の背を支える。
少し上体を屈めてくれたので私の足は再び地面に着地した。


唇を離そうとしたら ────

「煽るなって言ってんだろ? 悪い子猫だな」

唇の距離はゼロのまま。
先輩が囁いた。

その目は刺すように私の目を見つめていて、でも触れたままの唇には笑みを浮かべて。


何かを言おうと口を開いたら ──── 噛み付かれた。

いや、噛み付くようにして先輩の唇が押し付けられた、というのか。





するりと口内に押し込まれたのは、先輩の熱い舌。
それは柔らかく私の舌の付け根まで滑り込んで絡まり、私の舌を引きずり出す。


唇で甘噛みし、優しく歯を立てて、裏側をなぞるように舐めあげては押し返し、また吸い上げる。


じゅ、と唾液の絡まる音が静かな部屋に響いて、恥ずかしさが込み上げた。
それでも先輩はまだ離してくれる気はないようで。


歯の裏側、歯茎の境目あたりを舌先でなぞられて
思わず、喉の奥から声が出た。


自分でも驚くくらい甘い声。
くぐもったそれは先輩の口内に吸い込まれて消えて



満足したのか、火をつけたのか……背を支えていた先輩の左手が私の頬に触れ、髪を耳にかけた、と思ったら


「……ぁっ!」


耳の中に、先輩の指先が差し込まれた。
くすぐったい、はずだったのに。
甘い痺れが耳から背中、腰まで駆け抜けて


甲高い声が漏れた。
かすめるように、先輩は私の耳を弄ぶ。


あ、あ、と途切れ途切れにあがる、甘えるような悲鳴がまるで自分のものではないかのようで。



甘い痺れに身体は自然と逃げるような体勢になり。
唇を離して身体をよじれば、あろうことか先輩は私の耳に口付けた。


ひゃっと悲鳴が飛び出して身体が跳ねる。


くす、と笑う先輩の息遣いが耳にダイレクトに伝わって、それすらも甘い痺れを生んだ。

そして、粘着質な音が聞こえたと思ったら ────


「やあぁっ、あ、あー……!」



先輩の舌が、耳の中に入り込んできた。
暖かく湿ったそれは、さっき指が撫でていたところをなぞるように動き回って。


ついに私は声を抑えきれなくなって
泣くような、ねだるような、懇願するような悲鳴を上げた。