旅立ちと出会い(執筆中)


16歳の誕生日を迎えた朝。

母に伴われて城への道を歩きながら、私は見慣れた街並みを見渡していた。

そう遠くないうちに、生まれ育ったこの街に別れを告げることになるのだ。今のうちにこの風景を目に焼き付けておきたい。


「サーシャ、無理は禁物よ。まずはこの大陸でしっかり力をつけてから……」
「わかってるよ、母さん。この大陸を出たらどんな強い魔物が出てくるかわからないんだし、ちゃんと経験を積んでから行くって。それまではまた家にも戻るんだからそんな心配そうな顔しないでよ」

門の前で母と向き合い、私は苦笑する。

「そうね…王様にきちんとご挨拶するのですよ。あぁ、母さん心配だわ……」
「大丈夫だってば。王様にお許しを頂いたらルイーダさんの酒場に行って仲間を見つけて、そうだな…そのままレーベの村まで行くかもしれない」
「わかったわ。しっかりね。いつでも戻っていらっしゃい、母さん待ってるから」
「うん。じゃあ、行ってきます」



勇者オルテガの遺志を継ぎ、魔王バラモスを倒す旅に出る。
今日はその許しを頂くため王に謁見する日。

志半ばで倒れた父。
そのあとを引き継ぐ、勇者の子。
次なる勇者。

街の人や王、この大陸の人々の期待。
そういったものがなければ、私は「父を魔王に殺された不幸な町娘」でいられただろうか。

でも、私は勇者オルテガの子だ。
勇者にふさわしくあろうと毎日鍛錬ばかりして生きてきた。
他の大陸の冒険者…いやこの大陸でも少し強い人から見ればまだまだヒヨっ子なのだろうけど。
それでも勇者の血を引く私は、もう立ち止まれないのだ。



─── 本当は。
心のどこかで、どうして私なのかと嘆く自分がいる。
父の仇を討ちたい気持ちに嘘はないし、平和を取り戻すために魔王を倒したいという気持ちもある。
でも、期待されればされるほど…怖かった。

太刀筋は己の心を映すと言った剣の師匠はそんな私の心に気付いていただろうか。魔法の先生は?
彼らは、厳しかったけれど私のことをとても大事にしてくれた。
死ぬんじゃないぞ、と昨日の最後の鍛錬のあと呟いた師匠は、とても苦しそうな顔をしていた。

それは母にしても同じ。

勇者オルテガの妻であり、新しき勇者の母。
けれど同時に、大事な一人娘を過酷な旅へと送り出さねばならない一人の母親。

つらいのは、私だけではないのだ。だから、この感情は……封印しなければ。


橋を渡りきり、王城の門を見上げた私に

「サーシャ、よく来たな。…王がお待ちだ」

顔なじみの兵士が、神妙な顔で言った。
私は ─── 笑って、うなずいた……。















「サーシャ、待ちなさい! ひとりで行くつもり!? 」

踵を返して酒場を後にしようとした私を、ルイーダさんが店の端まで通るような声で引き止める。
カウンターから慌てて飛び出してくる彼女に、苦笑しながら振り向いた。
彼女が悪い訳ではないのだ。

「まさか。そんな無茶はしないよ、ルイーダさん」

ルイーダの酒場は、どこにこれだけの人がいたのかというほどの冒険者で溢れかえっていた。
私が酒場に入るなり、勇者様、勇者様と人々が殺到してきたのだ。


私には生まれつき、不思議な力がある。
人の思いが気配としてわかる、という些細なちから。
嘘をついたり、心の内と違うことを言う人はことさら顕著に「感じる」。

このおじさんは、どうして嘘をつくんだろう。どうしてオルテガさんが亡くなって悲しいねって言いながら、嬉しそうに母さんに話しかけるんだろう。私のことを可愛いねと言いながら、とても邪魔に思っているのは何故?

そんな具合で。

だから当然、酒場に入った瞬間に後悔した。
権力欲や、名性欲。
勇者様御一行に加わって、有名になりたい。チヤホヤされたい。
そんな感情がまとめてぶつかってくるのだ、たまったものではない。

「人が多すぎて、これじゃ話もできないよ。言い方は悪いけど、死ぬ覚悟のない人だけでも省いておいて下さい。いつ死ぬかわからないような旅なんだ、できればご家族のある人も遠慮したい。とくにお子さんのいる人は……私みたいな思いをさせたくない。今日のところは街の外で鍛錬しておくから」

笑みを作る気も失せ、淡々と言えば、あれだけ賑わっていた酒場はシンと静まり返った。


「……そうね、その通りね。私の方で皆さんとお話してみるわ。ごめんなさいね、サーシャ」
「ありがとう、ルイーダさん」


数少ない、「嫌いじゃない」大人であるルイーダさん。
私の言わんとするところを察してくれたのか、申し訳なさそうに見送ってくれた。
何人かが酒場を出た私に追いすがって来たけれど、殺気を含んだ眼差しを向けるとみな立ちすくんでしまった。
情けない。こんな若輩にひと睨みされて動けなくなるなんて、よくそれで仲間になろうだなんて思えたもんだ。

怒りを通り越して呆れた私は、そのまま町を出た。
町のすぐ近くで魔物と戦って少し経験を積もう。
鍛錬では師匠としか打ち合っていない、人と魔物では立ち回りも変わってくるだろうし多対一の戦いにも慣れておきたい。














「何だ……こんなもんか」

初めて出会った魔物はスライム二匹。
鍛錬中に何度も見かけたことはあったし、師匠が倒すところも見ていたので手強い敵ではないというのは分かっていたけど。
体当たりで少しダメージは受けるものの、一太刀で倒せる。
さすがに銅の剣のと言えど真剣、切れ味は鋭かった。
その後、大ガラスにも遭遇したがこちらも対して苦もなく倒すことができた。

レーベの村はそんなに遠くないし、これなら一人でも大丈夫そうだな……。



ふう、と息をついて空を見上げる。
体力は人一倍あると自負していたし、実際体はそこまで疲れていないんだけど。
今日は王に目通りして、ルイーダの酒場では沢山の「負の感情」に囲まれて。
精神的に疲れてしまったせいか、何度か魔物と戦ったせいでずいぶんと足が重く感じる。

このままだと油断して、そこいらの木の陰で「勇者のピンチを救って仲間に! 」と身構えている何人かの冒険者の思惑通りになりかねないな…さすがに助けられては断りづらくなる。

「今日はとりあえず家に帰るか…」

そろそろ日も暮れる。
練習中だったメラをちゃんと唱えられるようになっただけでも収穫だ。










その日の晩。
家で夕飯を食べたあと、私は町を出ることにした。
母と話してみて、ルイーダさんのところが落ち着くまで数日はかかるだろうという結論に至ったので一度ひとりでレーベの村に向かうことにしたのだ。
夜にレーベまで行けるようなら行って、あちらで数日の間は経験を積み、またアリアハンへ戻る。

「夜は魔物も少し強いというから、危ないと思ったら無理せずに戻ってね。気をつけるのよ」
「わかった。それじゃまたね母さん」

心配そうな母の頬にキスをして、私は笑顔で家を出た。

決して楽観するわけではないが、一人で戦えるなら暫くは一人でいい。
人が苦手なのだ。
できればずっと一人がいいけれど、それでは父と同じ轍を踏むことになりかねない。
いずれ仲間は探さなければならない。
なら、せめて今だけでも一人を満喫しよう。

足取りも軽く、私は再び町を出た ─── 。



「ふう、昼よりは少し手こずるけど…戦えなくはないかなぁ…薬草も毒消し草も多めに持ったし、回復しながらならレーベまで何とか持ちそうだ」

アリアハンとレーベの中間あたりの草原で出くわしたバブルスライムを倒し、私は近くの小さな岩に腰を下ろした。
道具袋の中を確認し、星空を見上げる。

「でも、ちょっと疲れた……」

家で少し寝てくれば良かった。
早寝早起きの習慣もあるし、今日は昼の疲れもあって、強烈な眠気に襲われているのだ。

「ここはちょっと見通しが良すぎるかな…森に入って、火を起こさなくちゃ」

仮眠を取るにしても、焚き火をしなければ。
獣も魔物も、炎には寄ってこない。少なくともこの大陸では。
まだ動けないほどではないが、一人だと無理は死に繋がる。早めに休息を取っておいた方が良いだろう。

私は重い身体を引きずるようにして森へ入り、薪になりそうな木の枝を探しだした。





ようやく集めた枝にメラで火をつけ、ホッと息をつく。
そこここにあった魔物の気配は遠ざかった。
母が持たせてくれた聖水をまいておいたから、心配はないだろう。
火を絶やさないように気はつけないといけないけど。

「父さんも、こんな風だったのかな」

夜までに次の目的地にたどり着けない事もあっただろう。
むしろ、その方が多かったのではないか。アリアハン大陸は大きい方ではない。
でもほかの大陸は大きいところもあると聞いている。

それでも父さんは最後の地とされているネクロゴンドの火山まで、こんな旅を続けたんだ……

「まだまだ、父さんには追いつけないね……」

あたたかく揺らめく炎を見つめながら父を想う。
思い出すのはいかつい手と、笑うとくしゃっと歪む顔。

気が緩んで来たせいか、まぶたが重くなってきた。
銅の剣を抱きしめるようにして、木に背をあずける。

初めての野宿…か。慣れていかなくちゃ……いけない…な……















人の気配らしきものを感じた気がして目を開けた時には、すでに背後に「何か」がいた。
「それ」は私の首元に何かを突きつけて言う。

「大人しくしててくれりゃ、何もしないさ。悪いんだが金目のものを出してくれないか」

─── 盗賊?

一瞬ヒヤリとしたものの、すぐに違和感に気付く。
盗賊の類にしては……
振り向こうとすると首元の手に力がこもった。

「おっと、動くなよ。その剣より速くアンタを刺すこともできるぜ」
「いや……あんたはそうはしないよ」
「何?」

くす、と私は笑う。

「だって、殺気どころか敵意すら感じない。むしろ困惑と申し訳なさそうな気配が漂ってるもの。これ、ナイフじゃないだろ? 」

首元へ手をやり、突きつけられていたものを掴んで振り返る。

──────── 困ったような顔で、木の枝を持った男は私を見ていた……。





「卑怯な真似をしてすまなかった。切羽詰まってたとはいえ、許されることじゃないよな。本当に悪かった……俺はウルフっていうんだ」

焚き火に枝を足し、二人で火のそばに座る。
ウルフと名乗った若い男は申し訳なさそうに頭を深々と下げた。


アリアハンではあまり見ない、変わった髪型をしている。
耳の前に垂らした髪に着いているのは、小さなビーズ。
後ろ髪は長いのだろうが、そのまま垂らさず布でグルグルに巻いていた。首の後ろから生える長い尻尾のように見えなくもない。
顔は到底悪人には見えず、かなり整った…というか…美形、と言うのだろう。それも、相当な。
およそ野盗には見えない。

「いいよ。これでも人を見る目はあるんだ…昔からね。普通の人よりちょっと気配には鋭いから。私はサーシャ」
「ありがとう…サーシャか、若いな。一人旅か? ……と言っても行くところはあっちならレーベ、こっちならアリアハンしかないから旅なんて数日もありゃ終わるだろうが」


この人…私のことを知らないのかな?
私の名前を聞いても全く反応がないし……
ならわざわざ、勇者でございと言うこともないか。黙ってても…いいよね。

「とりあえずレーベに向かってるところだよ。いずれは何としてもこの大陸を出るつもりをしてるけどね。方法はあるはずだから。今は……修行中ってところかな」

王は明言しなかったが、この大陸を出る方法はあるらしい。それを見つけ、自力で出ていけるくらいにはならないとこの先の旅は困難だということなんだろう。

勇者としての最初の試練、てわけだ。

「へぇ、若い上に女の身で修行の旅とは恐れ入ったな。度胸もあるようだし……」
感じ入ったように言い、ウルフは私の方へ向き直る。

「なぁ、あんな事をしておいて虫のいいことをって思われるだろうが、ちょっと相談があるんだ」
「相談? 」
「ああ。俺が武器…というか荷物を持ってないのは、ごらんの通り、だろ?」


そう。
彼が持っていたのは木の枝一本のみだった。

「そうだね。こんな夜の森で丸腰って、私よりも度胸あると思うよ」

少しイタズラっぽく言ってやると、ウルフは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「茶化すなよ……持ってかれちまったんだ、大ガラスのヤローに。うっかりまだ明るいからと火も起こさずに居眠りしちまったのがいけなかった。荷物と金はともかく、起きたら手入れをしようと荷物の上に置いてたナイフまで持って行かれちまってな……。これには参った。ここからレーベまではまだそれなりに距離もあるし、狩りをしようにも、火を起こそうにも道具がない。辺りはどんどん暗くなってきて魔物の気配も増え、お手上げ……ってやつさ」

そこで私の起こした火が見えてやって来たということか…。

「なるほど、わかった。レーベまででいいなら護衛するよ」
「察しがいいな。…まぁ、木の枝で金を出せってやってる時点でわかるか」
「あはは、まあね。荷物を丸ごと取られちゃったのなら、食べてないんだろ? これ、干し肉とパンとお水。レーベまでのつもりだったから、それくらいしか用意してないけど」

道具袋から出した食料を渡すと、彼はそれと私の顔を見比べた。
不思議なんだろうな、出会ったばかりで、しかも夜盗まがいのことをした男をこうも簡単に信用してることが。

不思議な力のことは説明しても信じて貰えないだろうし、仮に信じてもらえてもそれで構えられてしまうのは嫌だから、言わないつもりだし。

「いいのか? ハラは減ってるが…お前さんの分は? 」
「ちゃんとあるよ。タダで貰うのが申し訳ないって言うなら…そうだな、頼みを聞いてもらえれば」
「何だ? 」
「火の番をお願いしたい。明け方には出発するつもりだから、それまでの間」

ウルフはなるほど、と頷いた。

「そういうことなら、任せてくれ。俺は少し眠ったしな、お易い御用だ。取引成立だな…なら遠慮なく頂くぜ」
「うん。……私も食べよう。一人じゃなくなったおかげでようやく少し気が緩んだみたいだ…お腹が減った」

言って笑う。
──── そう、笑った。久しぶりに、何も気にせずに。心から。


不思議だな…この人といると気を張らないで済む。
私のことを勇者だと知らないで、一人の人間として接してくれているからだろうか。
レーベの村に着いてしまえば私の正体はバレてしまうのだろうけど、せめてそれまでは……このまま、ただの「サーシャ」として一緒にいたい。

「ははは、旅慣れてないのはお互い様か。んじゃ、レーベまでの短い間だが、宜しくなサーシャ」
「こちらこそ、よろしくウルフ」


──── ああ、このまま勇者だと知られなければどんなに良いか。
私を私として見てもらえることの何と幸せなことか。
知られたくない。
だけどそれは叶わぬ願い、なんだろうな……。












朝。