不思議な感覚だった。
テレビでオネェという人たちを見ても、嫌悪感もなければ特に好きだとも思わなかったのに。
黒瀬さんは、とてもとても素敵で。
オネェだったからこその魅力なんだなって、素直にそう思えた。
「拓はまだ知らないのか?」
「知ってたらあたしがここでのんびりお酒飲んでると思う?」
「それもそうか……あいつに知られてないのがせめてもの救いだな」
「とは言っても、いつまでも秘密にしておけるコトじゃないわよ。あんたが本気なら早めに顔見せには連れてくるべきかもね」
先輩と黒瀬さんが話し出したのは、おそらく他の大天狗のみなさんについて、なのだろう。
私はカクテルをちびちび飲みながらじっと聞いている。
「まあ、そのつもりではいるが……明日は先にやりたい事があるんだよ」
「ああ、鬼を封じた木の話?」
「お前、一体どこから知ってんだよ」
呆れたように言われて黒瀬さんはふふんと笑う。
「あたしに隠し事なんて無駄よ。あたしが琴馬ちゃんをすんなり認めた理由がわかる? この子の覚悟……あたしも見せてもらったわ」
覚悟。
それはきっと、私が先輩を引き止めたあの時の事だ。
あの時すでに、黒瀬さんは近くにいたということになる。
「怒らないでよね僧ちゃん。単に覗いてたわけじゃなくて、あたしなりに見極める必要があったんだから」
「わかってるよ……」
「この子が大した覚悟もなくあんたを繋ぎ止めるつもりなら、あたしが記憶を消してたわ。だけどね、あたしだから分かることもあるの」
黒瀬さんが、すっと手を伸ばして、テーブルの上に置いていた私の右手をそっと取った。
彼の手は男の人にしては細く綺麗で、それでも女の人ほどは柔らかくもなく。
長い指で私の指をなぞると、黒瀬さんはニコッと笑った。
「女にはね、命をかけてもいい恋が、一生に一度はあるものなの。この子はあんたのためならきっと命を張るわ。あたしにはそれがわかる。だから、ね」
黒瀬さんが私の右手薬指をスイと2本の指で挟む。
「最大級の祝福を」
「ひゃっ」
そのまま手を持ち上げられて、付け根に口付けられた。
ほんの一瞬、指に圧迫感があり、光の指輪のようなものが見えた気がした。
何が起きたのかわからず、ただ困惑していると黒瀬さんはそっと私の手をテーブルの上に戻す。
「隠形の術にあたしなりのアレンジを加えた特別製の護符よ」
先輩の顔を見れば、度肝を抜かれたと形容していいほど驚いた表情で固まっている。
それを見て黒瀬さんは意味深な微笑みを浮かべた。
「お前がここまでするとは思わなかった……本当に琴馬のことを気に入ってくれたんだな」
「あたしは口だけじゃないのよ。協力してあげるって言ったでしょ? その術については説明いらないわよね」
「ああ……姿は見えているのに印象に残らないようにする、お前の最高の術だな。確かにいたはずなのに、思い出せない……そう思わせる」
先輩は私に向かって良かったなと微笑む。
「これで、お前を襲った奴がまた来たとしても、お前のことをぼんやりとしか思い出せなくなるはずだ。気配を探ろうとしても探れない。よくあるだろ? 興味が無いと、何度も見たはずのCMなのに思い出せなかったりするアレ」
なるほど、確かにぼんやりとしか見ていないとコマーシャルって案外覚えていないかもしれない。
「お前は無意識に力をダダ漏れにして歩いてるから、それを隠してるって言った方がしっくり来るかもな。妖にしろ霊にしろ、そういうのは目に付くからちょっかい掛けられやすいんだよ」
「綺麗な色の光が見えてたからね~」
黒瀬さんもうん、と頷く。
「黒瀬さん、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
本当は立ち上がって、最敬礼をしたいくらいだったけど。
レストランの中だと目立つので、これで我慢。
「いいのよ。あたしが琴馬ちゃんを気に入ったから勝手にやったことだもの。それよりも、黒瀬さんじゃなくて瑛って呼んでちょうだいな」
「あ、瑛……さん」
「そうそう。困った事があったらお兄さんに言うのよ~いつでも助けてあげるからね」
「……はいっ!」
満面の笑みでそう返事すると瑛さんは目を細めて微笑み、傍に置いていたエナメルのバッグからスマートフォンを取り出した。
あ、この流れは……
「というわけで、番号交換、ね」
ですよね。
まさか、家族以外の連絡先が入っていなかった私のスマートフォンに、大天狗の連絡先が2件も入ることになろうとは。
番号を交換すると瑛さんはスマートフォンを片手で操作して、あらやだと呟いた。
「メッセージが来てたわ。あのコったら……電話を鳴らしなさいっていつも言ってるのに……」
んもー、とブツブツ言いながら瑛さんは返事を打ち込んで。
「それじゃ、あたしは失礼するわね。近いうちにまた会いましょ」
席を立ちながら、ウインクをひとつ。
ここまでウインクが似合う人も珍しい。
「ふふっ。頑張んなさいよ、僧ちゃん?」
先輩の肩にそっと手を置いて、含みのある笑い声とともにそう言えば
先輩は焦ったように余計な世話だと早口で返して。
コロコロと、綺麗な声で笑いながら瑛さんは去って行った。
「あの野郎、余計な事を思い出させやがって」
先輩は珍しく情けない表情で、テーブルに肘をつく。
なんの事か分からなくて、でもふたりの間ではどうやら話は通じているらしく……
私はただ首を傾げて、残りのプッシー・キャットを飲み干すのだった。