梅雨入りしてから数日……
未だ夏には届かぬ梅雨の中休み、カラリと晴れた涼しい風の吹くある日。
『Someone is walking over my grave』
「なんでこんな事に……」
千歳は、涼風を心地好いと思う余裕もないまま、そこに立っていた。
涼風は今や千歳にとっては寒風に等しく、背筋を這い上がる悪寒に粟立つ肌をゆっくりとさすりながら彼女は視線を地に落とした。
目の前にあるものを直視したくなかった、というのが本音だろう。
ここは、墓地。
陽が沈み、茜色の空の上から宵闇がじわじわと降りてくる中、静かな墓地に千歳は一人で立っていた。
もちろん好きでこんなところに居るわけではない。
「早く、探さなくちゃ……!」
千歳は重い足を気力で動かし、立ち並ぶ墓の方へ向かう。
今日の昼、千歳は父親の墓参りに来ていたのだが。
うっかり、自宅の鍵をどこかに落としてしまったらしい。
電車の中でたまたま、何の気なしに鍵を探したらポケットにあるはずのそれは無くなっていたのだ。
慌てて引き返したが、タイムリミットは着々と迫っていた。
夜になれば、明かりも持たない千歳では小さな鍵を探すことは困難を極める。
それに仮に明かりを持っていたとしても、夜の墓地に長居はしたくない。
仕方なく、千歳は気力を振り絞りせわしく墓場を歩き回り始めたのだった……。
どのくらい、探していただろうか。
気付けば、茜色に染まっていた墓石は冷たく白く、迫る闇に浮き上がるように佇んでいる。
「どうしよう……」
鍵はまだ見つからない。
しかしもう、薄闇の中ではまともに視界も効かず……
その薄闇すらも加速度的に光を失い、闇に近づいて行く。
それはつまり、千歳が今夜は自宅に入れないことを決定づけていた。
「わぴこのところに……行くしかないわね……」
がくりと項垂れた千歳が、それならばなるべく早くわぴこの家に連絡をしなければと墓地に背を向け、歩き出そうとした瞬間だった。
「おーい! やっと見つけたぞ千歳! お前何やってんだこんなとこで!」
良く知った声が、彼女を呼び止めた。
慌てて振り向けば、墓地の奥から走ってくる人影が見える。
「……葵!?」
「こんな時間まで墓参りかよ……!」
千歳の前まで走ってきた少年は荒く息をつきながら、呆れたようにそう言った。
「わぴこの奴が、千歳ん家に電話しても誰も出なかったって言うから……まさかと思って探しに来てみたら、いるんだもんなぁ……」
はぁはぁと息を整えながらも彼はホッとした表情を浮かべる。
「葵は私を探しに来たの?」
「おう。秀ボーから電話があってな。連絡網だよ連絡網」
「連絡網だなんて、何かあったの?」
「明日の課外授業の予定は無し、だとさ。行き先の川が昨日の雨で増水してるって情報が入って、校長が中止させたらしいぜ。わぴこに電話してお前に言っといてくれって言ったんだけどな……」
「ああ、私が電話に出なかったって折り返し電話があったのね」
「そゆこと。しっかしお前、こんな暗くなってからの独り歩きはヤベェだろ」
そう言われて千歳は改めて周りを見渡した。
なるほど確かにもう『夕方』ではない。
辺りが蒼白く染まり、山の際からは淡い光が覗いている。
月が、太陽にとって変わる時間だ。
「好きでいたんじゃないわよ! ……か、鍵を……」
「鍵? ……お前まさか、無くしたのか?」
千歳は項垂れた。
すると溜め息とともに、葵がポンと頭に手を乗せた。
「しゃーねーなぁ。明日一緒に探してやるから、とりあえず今日は俺ん家に来いよ」
「…………えっ!?」
「なんだよ。俺ん家は不満か?」
千歳は目を見開いて口をぱくぱくさせる。
中学生の頃ならいざ知らず、互いに『年頃』なのだ。
しかも、葵は一人暮らし。
そんなところに転がり込むのは……と、躊躇しているのだろう。
「な~に変な想像してんだよ、わぴこと秀一も呼ぶに決まってんだろ?」
考えていることが顔に出ていたのか、それを見て葵はニヤリと笑い。
からかうように彼女の鼻を指でつついた。
「なっ、なっ、何も考えてないわよっ!!」
「けっけっけ~! ホントかな~ぁ? ま、いーや。早く行こうぜ」
言うが早いか歩き出した少年を追って彼女も足早に墓地を後にする。
夜の墓場に一人残されるのは、さすがにゾッとしない。