眉を寄せたわぴこはきっぱりと言い切る。
その言葉に慌てたのは葵だけではなく、冷静が売りの秀一ですら取り乱す。
「おいおいわぴこ! お前だって昨夜見ただろ?」
「そうだよ、君もちーちゃんって呼んでたじゃないか!」
わぴこは小さく首を振る。
「ちーちゃんの姿をしてたから、そう呼んだんだよ。だってわぴこ、あの人の名前知らないもん」
わぴこは何を言っているのか。
秀一と葵は顔を見合わせ、千歳は怖いものでも見るかのような目でわぴこを凝視していた。
「あのね、秀ちゃん葵ちゃん。雨が降ってるんじゃないかなって言った時、わぴこ窓のところまで行ったよね」
真剣な表情で問われ、秀一も葵も黙って頷く。
わぴこは納得したのか、コクリと頷き返し、続けた。
「あの時窓に映ってた部屋の中にね、ちーちゃん居なかったの」
ザァッと突然の風がカーテンを大きく舞い上げた。
わぴこの髪を揺らした風は教室を吹き抜け、やがて教室はまたいつもの風景へと戻る。
「……じゃあ、あの時俺の部屋に居たのは誰なんだよ」
絞り出すような声で言った葵の顔は強張って。
秀一は、ただわぴこの言葉を待つように彼女の顔を見つめ。
千歳はカタカタと震えていた。
そんな緊迫するムードをまるきり無視して
「わかんない」
あっさりとわぴこは言った。
まるで、「明日は晴れるかな?」とでも聞かれたかのように、あっさりと。
そして、更にわぴこは軽い口調で続ける。
「ちーちゃんと一緒に鍵をさがしてたのも誰かわかんない。でも、ね」
にこり。
不意にいつもの明るい笑顔を、わぴこは浮かべた。
「悪いひとじゃなかったよ。あの人、お布団の中でわぴこにありがとうねって言ったんだ。これで彼と一緒に行くことが出来るって。楽しい思い出をありがとうって」
「……その『彼』って」
千歳が小さな声で呟くと、わぴこは多分ねと笑った。
そして、窓の外に目をやって、大きく息を吸い込む。
「今日が晴れだったから、早くに出発したんだね。雨が降ってたらわぴこ、お墓まで送ってってあげるつもりだったのにな」
清々しい表情のわぴこを見て、千歳たちはふぅ、と息をついた。
「わぴこには敵わないね」
「全くだぜ」
「でも、その『彼』も失礼よね。私を一人で置いて消えちゃうなんて」
「多分、彼女が心配になって俺ん家まで見に来てたんじゃねぇ?」
各々、ようやく緊張のとけた表情で軽口を叩きあい。
四人で高く澄み渡る青空を見上げた。
ところどころに流れる白い雲、涼やかな風。
「もうじき、夏ね……」
「盆になったら、あの墓地行ってみるか。手土産持って」
「ちーちゃんのお父さんに預けて渡して貰おうよ」
「彼らの名前がわからないしね。お願いしようか」
まるで友人を想うような。
そんな気持ちで四人は微笑む。
「それから、夏休みになったら山に遊びに行きましょう」
ふと千歳が口にする。
葵は弾かれたように千歳を見た。
「何よ? 海は嫌なんでしょ?」
「は……ははは!やっぱそうだよな。千歳はこうだよな。昨日感じた違和感が何だったのか、ようやく分かったぜ」
葵は楽しげに声を上げて笑う。
秀一もなるほどね、と笑みを浮かべた。
中学の頃ならともかく、千歳が葵への想いを、葵が千歳への想いを、自覚している今ならば彼女が海へ行こうなどと言い出すはずがなかったのだ。
「ちょっぴり、詰めが甘かったですよ? 誰かさん」
見事な演技だったけどね、と呟き秀一は空に向かってひとつウインクを投げた ――― 。
(了)