キスをしよう! 62(完)

 私が感慨に浸っていた時だった。




「なあ、俺と二人でもう一つ舞台をやらないか」

葵が神妙な顔付きでポソリと言った。

次の舞台の話なんてまだ聞いていないけど……それに私は助っ人だったわけだし……


「でも……私がいてもいいのかしら……ちゃんと入部したわけじゃないのに……」


私としては、やりたい。
演じることの楽しさを知って、舞台や映画の魅力にとりつかれたと言ってもいいくらいだから。


「あーその……サークルじゃなくてだな」

そわそわしながら、葵はビールに手をつけようと伸ばした手を引っ込め、また伸ばす。


「どういうこと?」


なんだか様子がおかしいわね。
葵にしては珍しく言い淀んでるけど……


私が葵の言葉を待っていると、葵はあーもう、畜生などと呟いて。

「やっぱ回りくどいのは俺には向いてねーや! 千歳、俺と結婚して欲しい!」






――― 何か…………ものすごいことを言われた気がする。


え、結婚てあの結婚よね?


ん?

……ああ!!



「わかったわ葵! どこで誰と計画したのか知らないけど、今度は夫婦の役なのね!」

まったくもう、紛らわしい言い方をするんだから葵ったら!


そう言った私が、引っ掛からないわよ~なんて言いながら笑っても、葵は笑わない。
どころか、情けない顔で頭を抱えてしまった。

わしわしと頭を掻きむしり、大きく大きく嘆息すると、ジャケットのポケットに無造作に手を突っ込む。
ごそごそ何かを探していたと思えば、出てきたのは小さな化粧箱。


あら?
こんなシーンをドラマか何かで見たような……


「ったく、どこまでも鈍い奴だなあ……ほら」

ずいっと箱を差し出され、戸惑いながらそれを開けると…………やはり指輪が入っていた。
小さなアメジストがはめ込まれた、シンプルで可愛らしいリング。

ドラマで見た通りの展開。


「まだちゃんとしたのは用意できねーけど。いつかきっと、贈ってみせるから」



……ええと。
……これは。



「俺と二人で人生って舞台を演じてみないか、死が二人を別つまで……とかなんとかいうクサイ台詞を練習してたんだけどな。無理だな……俺には言えねー」

「演技じゃ、ない……から?」

「そゆこと。まープロポーズって奴だ」



よりによって居酒屋で。
なんて言うか……


「こんな所でプロポーズなんかするから、勘違いされちゃうのよ」


「だからっ……タイミングを逃したんだよ! 今日言わねえと言えなくなりそうだったし……」


しきりに照れる葵を見つめていると、ようやく私の中にも実感がわいてくる。


……そっか、私は……葵に……プロポーズされたのね……




「葵……あの、私……」

いつの間にか葵は、無言で、真剣な眼差しで、私を見つめていた。

私も笑みを消して、すうっと息を吸い込み。一度目を閉じて、ゆっくりと葵の瞳をみつめた。




「……いいお嫁さんになれるように頑張るから、大事にしてね?」






葵が相好を崩した。
子供みたいな、無邪気な笑顔。


「あはははは! ちくしょーやっぱ居酒屋でプロポーズしたのは失敗だったな! 俺、今すげーお前にキスしたい」


ほんとね。
私も、たくさん葵とキスしたい。


「だからさ、千歳」
「ええ」


私たちは最高に幸せな恋人たちの笑顔で……
演技なんかじゃなく、自分自身の感情をそのままに。

微笑み、手を握りあった。



「だから、俺たちの家に帰ったら気のすむまで……な」

「ふふ、一日中ね」



ゆるりと私の手を撫でる葵の指が、可愛らしいリングを私の薬指にはめた。




目に見える約束の証。

もうひとつは、心に刻む愛の証。






「ああ。飽きるほど……キスをしよう!」










(キスをしよう!・完)