ミルキーウェイ・シンドローム(後)

「今日も蒸すわね」
「ん、そーだな……」




衝撃のキスシーンで、一時騒然となった会場はわぴこの一声で平静を取り戻したようで、後のスケジュールは滞りなく進んだだろう。

何故断定でないのかと言えば、俺と千歳は互いに放心したまま、裏口から学校を抜け出して裏山に避難した為、その後の会場の有り様を確認できていないからに他ならないわけだが。


いや、避難「した」と言っては語弊があるかもしれないな。
なんせ、秀一が俺と千歳を強引に追い出したようなものだったのだから。




 互いに言葉を発することもないまま、無駄に見事な星空を眺めていた時、ようやく千歳が言ったのがさっきの台詞だ。


はて、星空が見えてるってことはもう七夕大会は終わってるんじゃねーのか?
俺達は一体何時間ここにいるんだよ。





「……あのさ、千歳」


いかん、思考が逃げてる。
このままではマズイ、流石にマズイ。

まず謝らないと!
千歳が怒り狂う前に!


「俺が悪……」
「なかったことにしたいの?」



俺が覚悟を決めて、謝ろうとしたのをあっさりと遮った千歳の声は震えていて、俺は慌てて首を振った。それはもう、首が取れちまうんじゃないかと思うほどにだ。


「そうじゃねえ。お前の意思を無視してあんなことして、悪かったよ……」
「……私が知りたいのは、葵がどうして私にキスしたのかって事なの」


いつになく、千歳は落ち着いている。
いや、無理矢理に自分を落ち着かせてるって感じか?


返答次第では、殴り飛ばされかねないな……真剣に考えねーと。




「俺は」



俺はどうして、千歳にキスをした?




「彦星の役になりきっちゃってたの?」

千歳の奴、わざわざ俺に逃げ道を用意するのかよ。
どこまでお人好しなんだ、お前。





そうだな、そう答えりゃ俺は楽になれるのかもしれねえ……

けどな。


そうじゃない。
あの時の俺は、間違いなく俺自身だった。

――― 彦星ではなかった。



だから、せっかく用意してくれた逃げ道だが、俺は自ら断つぜ。


「違う。あの時は彦星とか織姫とか、そんなことも忘れてた」



だったら、なあ、葵よ。
何故なんだ?
お前は千歳を見て何を感じた?







そうだ……千歳は綺麗だった。

化粧してた千歳は、いつもより大人びてて。
でも顔はまだまだ大人とは言えない、あどけなさも残してて。

そのアンバランスさが、また何とも言えない色気を醸し出してたんだ。


15歳という、大人への階段に足をかけてる今。



俺の中に芽生えたのは、何だ?




「恋心と、欲求」

「……え? 何が?」


「はは、どうやら俺の感情は綺麗なもんばっかじゃなかったみたいだ。俺はお前の事が好きらしい、けど、それだけじゃ足りなくて、お前に触れたいと思ったんだ」


言って俺は千歳の肩を抱く。
千歳の肩は柔らかくて、それはまた俺をうっとりさせた。


「あ、葵……」

「触れたかったんだ、……この、唇で」


そうっと、千歳の顔に唇を寄せてみる。

千歳は逃げるだろうか、それとも怒るだろうか。



「     」




千歳の口許が動いた。
目は俺を捉えたまま、焦れったいほどゆっくりと、動いた。






「……ふぇっ!?」





そして、千歳の柔らかな唇に塞がれた俺の口から出たのは、くぐもった、酷く間抜けな声。




だがそれも仕方ないと思う。

だってよ、千歳の奴……




わ た し も よ

……って、言ったんだ……




どうしたらいいんだろうな。
この胸の中を渦巻く感情をどうすれば落ち着かせられる?




――― 俺がそんな事を夢中で考えていた時だった。

「織姫さん彦星さん、二人の世界に浸ってるところ申し訳ないんだけど……」


すぐ側で到って冷静な声が言い、俺はあやうく心臓を止めちまうところだった。
いや、どうやって止めるのか知らねえけど。

そして反射的に、まるで反発する磁石のように身を離した。


高速で首をそちらへ向ければ、2本の懐中電灯を持って苦笑いする秀一と、目をキラキラさせてるわぴこが隣にしゃがみこんでいる。



「明かりも持たないまま裏山に入って、中々下りてこないから迎えに来たんだけど……」
「い、いいいいつから居たんだお前ら!!」
「ずっといたよー?」

「き、北田くん! 黙って見てるなんて趣味が悪いわよ!」


俺たちの猛抗議にも秀一は表情を崩さない。



「だって、織姫と彦星の逢瀬を邪魔しちゃ悪いじゃないか」



嘘つけ。好奇心だろ?



「じゃ、はい。懐中電灯」
「は?」
「さて、帰ろうかわぴこ」
「うん! じゃまたねっちーちゃん、葵ちゃん!」
「ちょ、ちょっと」


覗き見で満足したのか晴れ晴れとした表情で秀一とわぴこは一足先に山を下りて行く。


残された俺達はすっかり毒気を抜かれて、長い間そこで本日二度目の放心をするのだった……。






ちなみに


……その後、気をきかせてくれた秀一には悪いが、いい雰囲気になることはなかったことを明記しておく。


理由は簡単だ。

季節は夏。
そして草木の生い茂る裏山という条件。






…………畜生、痒いったらねぇや。





(了)