(仮)22

私は漫画も読むが、どちらかというと小説が好きだった。
推理小説歴史小説、家業の影響か、やれ陰陽師だの祓い屋だのといった和風のSF小説などが好きだ。


とりわけ好きな作家の作品では、男女が情を交わした翌朝の描写として珈琲を飲むシーンだったりが出てきたなぁ、と何処からともなく漂ってくる珈琲の芳しい香りで思い出す。


ハムエッグで朝食、とかいうのもあったかもしれない。

何にしろ、少しばかりの後ろめたさと朝の爽やかさが見事に融合したシーンには、思春期の女子としては少なからず憧れたものだ。





どうして今こんな事を思い出すのだろう。

……ああ、珈琲のいい香りがするからか。
ミルクたっぷりのカフェオレと、ハムエッグと、トーストで朝ごはん……何と優雅なんだろう。



想像して思わず私はにへらと笑う。

その瞬間、小さく誰かが笑う気配。そして。




「幸せそうなとこ悪いんだが、メシが冷めちまうから起きないか?」

目の前から聞こえた、大好きな声。

「──── っ!?」

大きく見開いた私の目にうつったのは、ベッドに寄りかかり、至近距離で私を見ている先輩の、いたずらっぽい微笑み ────










「何も無かったはずなのに、何かあった以上に恥ずかしいです」


トーストに、ハムエッグ。そして甘い甘いカフェオレ。
夢に見た優雅な朝食を取りながら、私はふくれっ面でぼやいた。

一瞬、「何も無かった」ことを忘れ、いわゆる「朝チュン」……まぁ端的に言えば、あれやらこれやら致しちゃった翌朝のことであるが……そんな気分になってしまったことへの照れ隠しである。



「へぇ、何かあった朝がどんなもんか、知ってるのか?」
「……知らないですけどっ」
「ははは。まぁ知ってますと言われてたらこの後3時間は小言を食らわせるつもりだったがな。ただまぁ……寝顔をしげしげと眺めてたことは謝るよ、悪かった」


改めて言われると、目の前にあった先輩のドアップが思い出されてまた顔が赤くなってしまう。

「……もういいです。思い出しちゃうから言わないで下さい」




先輩は私より先に起きて、しっかり朝食まで用意してくれていたのだ。
礼を言いこそすれ、文句を言う筋合いはないわけで。
起こそうと近寄って、そのまま寝顔を「鑑賞」されていたことには抗議したが、謝ってくれているし。






それにしても ──── と、テーブルの上に並ぶ朝食を見つめて思う。


「先輩って、なんというか……生活力高いですよね」
「そうか? まあもう何年もずっと1人だしなあ、慣れてるだけだと思うぜ」
「えっ……あ、す、すみません。何か……聞かない方がいい話……でしたね」
「は? あぁ、気にすんな。感傷に浸るには昔の話すぎるしな。それに、今の暮らしは結構気に入ってんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、お前の世話焼くのも含めてな」

にやり、とやられて私はもにょもにょ言いながら目を逸らした。




本当ならば今日は例の鬼が封じられたと噂される木を調べに行かなければならないのだが、先ほど先輩に言われたのだ。
「とりあえず、お前のメット買いに行くぞ」と。


お前の、という事は私専用ということで。
私は、心の中で祖母に謝り倒しながら、大喜びでハイと答えたのである。


本能に従いすぎでしょと思わなくもないが、惚れた相手と仕事を天秤にかけて、仕事を選ぶのは私には難しかった……。








朝食の後片付けは私に任せてくださいと、テキパキと洗い物をすませ(これでもおばーちゃんに一通りは仕込まれているのでちゃんとこなせる)部屋で着替えを済ませたあと私達は近くのホームセンターへやって来ていた。


開店直後の店内で、次から次へとヘルメットを試着し。
先輩のバイクと同じ、赤のフルフェイスヘルメットに決めた。


ヘルメットの相場なんて私にはよく分からなかったけど、先輩は慣れたらちゃんとした店のやつを買ってやるよと言っていたので、これでも安物らしい。


手渡されたそれをまじまじと見つめながら、でも先輩一万円札出してたよねぇ、と思い出す。

きっと「ちゃんとしたやつ」はアレが何枚も要るんだな、と思うと疑問がわきあがる。



「先輩、アルバイトとかしてるんですか?」



ずっとひとりだと言っていたから、ご両親はもういないのか、それとも交流がないのか……いずれにしても仕送りがあるという可能性は低いだろう。
けれど経済的に苦しい雰囲気は全くないし……


「うちの学校じゃ禁止はされてねぇしな。まぁ成績が落ちるようなことがあると呼び出し食らって辞めさせられることもあるらしいけど……俺は暇つぶしに時々ちょっとやってる感じだな」
「立ち入った話で申し訳ないんですけど……生活費とかどうしてるんですか?」
「貯金がある。使わねーからってブチ込み続けてたらえらい額になったやつが」


……えらい額の中身が気になるが、さすがにそこまで聞くのはためらわれたので、とりあえず納得はしておいたけど。


「何のバイトしてるんですか? 平日は学校があるし、土日しか働けないんじゃ……」
「んー?」


先輩は少し考えたが、まあいいかと呟いて。


「誰にも言うなよ。たまにな、モデルをやってんだ。髪はウィッグ使うしカラコンも入れたりしてるから、誰も俺だとは気づかないけどな」
「ももモデル……!! どおりで……いやあの……背は高いし体格はいいし顔は二枚目だし、何でその可能性を考えなかったのか……」
「だから……お前はどーしてそう手放しで俺を持ち上げるんだ、馬鹿……」

あーもう、と言いながらそっぽを向いてしまった先輩に、私は内心でフフフと笑った。

だって本当のことですもん、と。



「よし、今度お前も巻き込んでやるから覚悟しとけよ」
「ええーっ? 無理ですよ私じゃ」
「そんな事ないだろ。お前、顔は可愛いし背もそこそこあるし、スタイルも悪くないし何より派手すぎないのに華がある。結構な逸材だと思うがな」
「……………………うわああぁーっ!!」
「逃げやがったか。待てこら! もっと俺に持ち上げられて恥ずかしい思いをしやがれ!」




学習しない私と、味をしめた先輩は追いかけっこをしながら、あっという間に寮に帰りついたのだった。