「浅羽広、14歳。
僕、ビンボーが嫌いなんだ。……かくも無惨に、藤ノ宮千歳の淡い恋心を打ち砕いた男。
そして彼女が父親の遺産を相続した途端に手のひらを返してアプローチをかける、厚顔無恥な男。金が特別好きなわけではないらしいが、あるのが当たり前というスタンスでいるため、無い者に対しては見下した態度を取ることが多い。
現在、藤ノ宮千歳は彼に恋心どころか嫌悪感、苦手意識を抱いており、浅羽自身はその事に気付いていないため気苦労が絶えない………………と」
「し、し……失礼にも程が……」
「なんか間違ってたか? 千歳」
「いいえ、全くもってその通りだったわよ?」
新田舎ノ中学校からほど近い公園で、俺は古ぼけた大学ノートをペラペラと捲っていた。
「しっかしコレよく出来てんなぁ~、人物紹介」
俺の前には、浅羽がワナワナと体を震わせながら立っており
その少し後ろには千歳が呆れたような表情で立っていた。
事の起こりは、今朝早く。
わぴこの誘いで、久しぶりに鬼ごっこをしよう! と決まり―――もちろん拒否権などなかった―――集合場所である公園に集まったところから。
今年大学生になった俺達は、今でもたまにこうして同窓生たちと遊ぶ。
生徒会のメンバーは幸い同じ高校に進むことが出来たので、久しぶり……というわけではないのだが。
大学は、秀一のみが分かれたが何だかんだで会うことも多いので、せいぜい2週間ぶりくらいだ。
そこへ、運悪く通りかかったのが、浅羽広だった。
あー浅羽くんだぁ、久しぶりだねぇ一緒に鬼ごっこしよー!
……というわぴこの誘いに返事をすることも出来ないまま、参加者としてカウントされた奴は必死で逃げざるを得なかった。
まぁ、逃げないと飛び蹴りだよ~ん、などと言われれば俺でも逃げる。
そりゃもう必死で逃げる。
で、日も高くなり始めたころ、小休憩を取っていた俺はたまたまベンチに置きっぱなしの大学ノートを見つけたのだ。
新田舎ノ中学校、ならびに都会ノ学園人物紹介。
そう書かれたノートには、几帳面な字で1人1人のプライベートなデータまでもが書き込まれていた。
そのうちの1人、浅羽のページに目を止めた俺がからかうように朗読を始めたのが、ついさっき。
まだ鬼ごっこをしていた面子もゾロゾロとベンチの辺りへ集まってきた。
「根も葉もない嘘ばかりじゃないか! そんなもの!」
「えーそうかな? 合ってるよなあ」
「合ってる合ってる」
「ぜーんぶホントのことじゃーん」
浅羽の抗議は一斉に却下された。
「でも誰がそんなの書いたのかなぁ」
「お、オレじゃねーぞ!」
「文太にこんなん書けるわけないだろー」
わいわい、がやがや。
楽しそうなギャラリーとは対照的に、浅羽はガックリと肩を落とす。
「わかってるさ……自分でも薄々、気付いていたよ。だけど……どうしても僕には……っ」
がばり、と奴は空に向かって手を伸ばし、声の限りに、叫んだ。
「ビンボーだけど幸せ、っていうのがどういうことか理解できないんだぁぁぁぁぁっ!!!」
「……つまり、一般的な家庭の収入はこの程度になります。夫婦共働きで、駅から少し距離のある新築のアパートに住んでいると仮定して、月々の支出がこれくらい。夫は入社2年、妻は週に5日パートに出るとして……色々と引かれるものもあるので、手元に残るのは……こんなものでしょう」
鬼ごっこ、のはずが。
何故か、「秀ちゃんの☆一般的な新婚家庭を学ぼう! 特別授業☆」に様変わりしていた。
理解できないなら、理解出来るように説明すればいい。
誰かがそう結論づけ、誰が説明するの? との問いには全員が一斉に秀一を見る、という行動で答え。
秀一は諦めモードで大学ノートの後ろのページに数字を書き込みながら、授業中なのだった。
「僕の小遣いよりも少ないよ! なんてビンボーなんだ……あぁ、恐ろしい! これじゃ何も出来ないし買えないじゃないか!」
「んなワケあるかよ、贅沢は出来なくてもさほど困るような額じゃねーだろ……むしろそれだけありゃフツーはそれなりに裕福って言うんだよ」
俺が呆れた声で言えば
「そうねぇ、私も最初は何も買えないって思ったけど……生徒会であれこれお金のやりくりを知ってみたら視野が狭かったんだって気付いたものよ」
千歳も昔を懐かしむように頬に手を当てて大きく嘆息した。
「あー千歳は確かに最初の頃は無駄遣いが多かったもんなぁ?」
「反論出来ないのが悔しいわね……むうぅ」
「はいはい、そこまで。さて、これでまぁ、新婚夫婦の生活水準は理解してもらえたと思うんだけど……」
秀一が小さく息を吐く。
「お金と幸せが比例しないっていうところは、実際に見た方が話も早いだろうし……千歳さんと葵に頑張って貰おうかな」
「……は?」
「え?」
「新婚さんごっこ」
にこり。
逆らうことは、許さない。
そんな意思を感じさせる笑みを浮かべる秀一と、蛇に睨まれた蛙の様に固まる俺と千歳。
「やってくれるよね? 2人とも」
そもそもの原因は浅羽を引き込んだわぴこのような気がしないでもないのだが、俺が要らぬことをしなければこうはならなかった。
その責任を取れ、と秀一は言ったのだ。
千歳は、おそらく単に巻き込まれただけなのだろうが……
「……はい」
俺たちは、声を揃えて頷くよりなかった……。
かくて、さすがに日の高い公園で、何の小道具もなしにというのは酷だと言うので、「ビンボーだけど幸せとはどういうことか、浅羽くんに教える小劇場」は日を改めて行うことと相成った。
部屋は、一人暮らしを始めた朱子の部屋を使う。
つい最近越したばかりでまだあまり荷物もないらしいから、ちょうどいい。
小道具の準備は、意外な事に浅羽が費用を全額負担する、という。
「ビンボーだけど幸せってどういうことか理解する為ならそのくらいの出費は惜しくも何ともないさ!」
……という事らしい。
「家具家電一式あればいいかしら?」
「うーん……むしろ請求書を浅羽くんに回すことにして、葵と千歳さんに見繕ってもらった方が早いかもね」
「えー、マジか……めんどくせぇなぁ、千歳が適当に買ってくれりゃいいんじゃねぇの」
「今でこそ庶民的な金銭感覚を身につけた千歳さんだけど、葵だって中学の頃の彼女をよーく知ってるだろ? いつタガが外れるかわからないんだし、何より葵は買い物上手なんだから、居てくれないと困るよ」
「浅羽の金だし、いくらでも出すって言ってくれてんだぜー? いーじゃんよー」
「新婚家庭に、高級ベッドや絨毯があっちゃマズイんだよ。庶民の暮らしがどんなものか、千歳さんだってまだそこまで詳しくはないんだから」
あー……
金銭感覚は庶民的になったけど、コイツの住んでた家はあの通りだしな……
今は大学に近いマンションに住んでるが、それだって中々の高級マンションだ。
こいつの普通は、まだまだ世の中の上流階級のそれだ。
任せたら一般家庭にないものばかりに……なるよなぁ。
「……わかったよ」
「決まりだね。浅羽くん、なるべく安く抑えるから。本来、新婚さんたちもこうして限られた費用から物を揃えるものだからね」
「なるほどなるほど……」
「新婚さんかぁ……ドラマとかでしか見たことないけど……」
ぽそりと呟く千歳にマジかよと言おうとして、自分も似たようなものだと気付く。
熟年夫婦なら親父とお袋が参考になるかもしれないが、あの2人が新婚の頃、俺はまだ産まれてねぇ。
あー……不安だ。
どんどん話がデカくなってきてる。
嫌な予感しかしないぞ、これ…………。