秘密の放課後 2

図書室の最奥、という場所がそうさせるのか
窓のないこの部屋の閉塞感がそうさせるのか

二人の間に、言葉は生まれなかった。


何だか居たたまれなくなって、葵は話題を探す。
だがこれと言って気の利いた話題は浮かばない。

黙っていると、普段は目をそらしている「ある事」を考えてしまうから
なるべくなら他愛もない話をして忘れていたかったのだが。



ちらり、と隣に座る千歳を盗み見る。


葵は彼女のことが好きだった。
気付いたのは最近だが、一度自覚してしまうと
全てのものが違って見えてくるから不思議だと、葵は思う。


例えば、ぼんやりと積まれた古文書を見つめる横顔。
その睫毛は長く、鼻は高い。
はっきり言ってしまえば、類を見ない美人だ。

さらさらの金髪は柔らかそうに
室内灯の光を乱反射している。

明かりがついていても薄暗い部屋の中で
彼女の周りだけが明るく見えた。



喧嘩友達、仲間。
そんな間柄で、このままずっと側にいたいのか

それとも、彼女を「落として」しまいたいのか。

それすらも、自分の中ではっきりしない。


意地っ張りでわがままで。
自分本位で傲慢に見えて、実は情に厚くてお人好し。

仲間想いで、本当はとても脆い。


1年も付き合えば、クラスの誰もがそんな千歳を理解していた。
もちろん、葵も。


だが、クラスメイト達とは決定的に違う感情を持っていたことに
気付かされてしまった。

仲間としてだけではなく。


こいつは女なんだ、と

知らず意識していた自分。



遅すぎる恋の目覚めにあわてふためき
その暴れ馬のような感情を乗りこなせるようになったのは
本当にここ最近なのだ。



ともかく、わずか数分の沈黙すら
今の葵を動揺させるには充分であった。

仕方なく彼は「今日はいいお天気ですねえ」と大差ない、そのあたりの話題を切り出すことにして
視線を上に向けた。


窓のない部屋だと思っていたが、積み上げられた古文書の向こうに
カーテンらしきものがチラリと見える。

「あれ、カーテンか? 開けりゃ少しは明るくなるんじゃねーの?」

そう言って、本の塔を崩さないように慎重に立ち上がる。

そこまでは良かった。


倒してしまわないように本を押さえ、カーテンに手をのばしたのに。

いや、だからこそ。
足元にあった、古文書の切れ端に気が付かなかった。




ずるり、と
滑った足が隣にいた千歳に当たり

立ち上がりかけていた彼女がバランスを崩す。

その上から古文書が落ちてくるのを見て、葵は思わず本を押さえていた手を離して千歳に伸ばした。


しまったと思った時には遅かった。


葵が押さえていた本の塔までもが崩れ落ちてくる。

覆い被さるように腕を広げて千歳を庇った葵の首筋に、どすんと重い衝撃が走り

その意識は一瞬で暗闇へと落ちて行った……。







中学三年生とは言え、葵は体格も悪くないし上背もある。

そんな男が完全に意識を失ってのし掛かっているとなれば
千歳は息をするのがやっとであった。

何度か呼び掛けてはみたものの
葵はピクリともしない。
心配になって揺さぶってみたり、叩いてみても反応はなく。

「葵、葵! しっかりしてよ葵ったら! ねえ大丈夫なの? 返事してったらぁ……」

涙が溢れだし、呼びかける声も震えだした頃。



「ん……ってて」
葵が呻いて、ゆっくりと目を開けた。


「葵!」

思いのほか近くで聞こえた千歳の声に
一瞬状況が把握できずにぼんやりと目の前のものを見つめる。

それは開いて折れ曲がってしまった古文書だった。

「何だ……? 俺何して……はっ」

ようやく、意識を失う前の状況に思い至り
葵はがばっと身を起こして千歳を見た。

「お前、怪我ないのか!?」

「ばか! それはこっちの台詞よ!」

葵の意識が戻って安心したのか、まだ止まらない涙を拭いながら千歳が怒鳴る。

それを見て問題なさそうだと判断した葵は首筋に手を当ててさすりながら
改めて自分たちを囲む惨状をしげしげと見つめる。


うず高く積まれていた古文書は大方が崩れ落ちてしまい
見晴らしが少しだけ良くなった部屋の中は、さっきより更に薄暗くなったようにも感じられた。


「俺どんくらい寝てたんだ?」

随分と重い本が当たったものだと、いまだ首をさすりながら葵は落ちた本を拾い上げる。
梵字辞典と書かれたそれは百科事典に勝るとも劣らない重厚なものだった。

「腕もあげられなかったから時計が見られなくって正確にはわからないけど…10分くらいかしら」

「首筋に一撃で昏倒ってやつだな……悪ぃ重かっただろ」

「まぁ、苦しかったけど……それよりも目を覚まさないあんたの方が心配だったから」

「そっか……頭じゃなかったし、脳震盪起こしてただけみてーだ」

「怪我はしてないの?」

「触った感じでは大丈夫みたいだな。内出血くらいはしてんだろーけどよ」

「そう……大事に至らなくて良かったわ」




葵は会話を続けながらも、床に散らばった古文書を適当に積み上げてスペースを作る。

ようやく二人が座れるくらいの広さで床が見えた。

シンと静まり返った狭い部屋。
カーテンを開く音がやけに大きく聞こえる気がする。

「……暗いな」

本を守るためか、西日が差し込まぬように考えられて取り付けた窓なのだろう。
夕暮れの陽は部屋にはほとんど入らなかった。

風さえ通ればいいのだと言わんばかりに頑丈な格子が窓全体を覆っており、この部屋の懐古的な雰囲気にはひどくそぐわない。

やはり価値の高い文献などもあるのだと
改めて葵は古文書達を眺めやる。

踏みつけてしまったものもあるが、不可抗力だ。


「でも葵のことも心配だし、かくれんぼどころじゃないわね。とりあえずここを出……」


千歳が腕時計に目をやって言いかけて

絶句した。