「俺が実家に戻ってるのは知ってるよな?」
葵は高校に入るまで、しばらく一人暮らしをしていた。
何でも、進路のことで家族と衝突したのだそうだ。
だがつい最近、和解したとかで葵は実家に戻っている。
「ええ、ご両親と和解したんでしょ?」
「ああ、まあ条件付きでだけどな」
「条件?」
「家を継ぐこと」
家を継ぐ?
と言うからには、何か家業があるってことよね。
葵は私達ですら自宅に呼んでくれたことがないから、葵の家が何をしてるのかなんて知らない。
住所録から探し当てることは出来るだろうけど、葵は知られたくなさそうだから誰もそんな事はしていないし。
「はあぁぁ……」
葵が頭を抱えて深く嘆息した。
「その条件とやらに関係があるのね?」
「察しがいいな」
かなり参ってるわね……珍しいこともあるものだわ。
「ねえ葵……吹きかけた私が言うのも何だけど、顔拭いたら?」
私が差し出したハンカチを無言で受け取って顔を拭く葵。
目は虚ろで、まるで死んだ魚ね……
「ねぇ葵。あなたのお家って一体何をやってるの?」
「それはだな……あ、ハンカチさんきゅ」
少しすっきりした顔で私を見た葵は、諦めたように苦笑して紅茶に手をつける。
「それは後で話すとしてだ。まず聞いて欲しいのは、親の出した条件てやつなんだ」
「ええ」
「まー昔かたぎだとは思うんだけどよ、高校出たらすぐに結婚しろって言うんだよ……親の決めた相手と」
……言葉が出なかった。
葵が、結婚?
「しかも高校出てすぐ結婚するんだから、もう今から同居しろと来たもんだ」
葵が、誰かと一緒に暮らす?
奥さんになる女の子と?
「…………嫌よ!!」
気づけば私はテーブルを凄い勢いで叩いて立ち上がっていた。
葵が目を真ん丸にして私を見上げている。
しまった……
うっかり葵と相手の女の子に似た可愛い双子が生まれて白い壁の素敵なおうちの小さな庭で家族団らんしてるところまで想像しちゃったわ……
どうしようどうしようどうしよう、何か言わなくちゃ!
ええと、ええと
「そっ……そう! 私ならそんなの絶対に嫌よ! 親の決めた相手と結婚させられるなんて嫌だわ!」
「そ……う、だよな、そう思うよな」
気圧された葵がなんとか言葉を返したのを見て、ようやく私は我にかえり、ここが喫茶店の中だという事を思い出した。
「とととにかく、出ましょ……」
注目を浴びているせいか顔が熱い。
伝票を持って、私は会計を済ませると逃げるように店を出る。
「あー恥ずかしかった……」
「ところ構わずいきなり叫ぶ癖は相変わらず治ってねーなぁ、おめーよー」
追いかけるように足早で店を出てきた葵は呆れ顔ではあったけれど、怒っている様子はなくて。
「ま……いいや。ちょうどいいから、俺ん家に寄ってけよ」
サラリと言うと鞄を肩に担いで歩き出した。
え?
葵の家って……
「ちょ、待ってよ! だって、家のこと余り知られたくなかったんじゃないの?」
小走りに追いかけながらの私の問いに、彼はあっさり「まあな」と返したのだが、くるりと振り向くと歯を見せて笑う。
「お前は特別だからな!」
…………どういう意味かしら。
普通に考えるとまるで口説いてるかのような台詞だけど、葵に限ってそれはないんじゃないかしら。いえ、絶対にないわ。
なら、葵の性格から察するに……
「つまり、相談に乗った上で、私が協力するまで逃がすつもりは無いってことね?」
「さすが、わかってんじゃん千歳。だから、逃げるなら今のうちだぜ? 俺はなにがなんでも協力させるからな」
「馬鹿ね。私がここで逃げ帰るとでも? 逃げるつもりなら生徒会室で一刀両断にしてるわよ」
「……そう言うと思ったよ。んじゃ、行こうぜ」
満足そうな葵。
きっと葵は今、やっぱり千歳は友達甲斐のある奴だーなんて思ってるんでしょうね。
もし私が葵に片想いしていなかったとしても、ここで葵を見捨てるなんて選択肢はなかったと思う。
私達の付き合いは、そんなに薄っぺらなものじゃないもの。
いつも4人一緒だった。
楽しい時も、苦しい時も、悲しい時も、いつも私達は一緒だった。
喧嘩もしたけど、いつだってすぐに仲直りして。
だって、どの一人が欠けても、楽しくなかったんだもの。
わぴこと北田くんが付き合いだしてからも、二人に少し気を利かせてあげるようになったくらいで何も変わってなんかいない。
私は葵を男性として好きだけど、友達としても大好きなの。
だから私には、切り捨てるなんて選択肢は最初からないのよ。
夕陽の名残をわずかに山の稜線に残す、昏い紅色をした空を一度見上げて。
「帰りはちゃんと送り届けてよね!」
私は再び葵の後を追った。