お嬢様育ちの私は、はっきり言って体力がなかった。
なかった……というのは、つまり過去形であり。この町へ越してきて、牛や鶏や葵を追いかけ回していたおかげですっかり逞しくなってしまったわけで。
それでも、男の子とは絶対的に体力の差があるものなのよね。
「……おーい、大丈夫かぁ」
もはや一言も、それこそ文句すら言わなくなった私の手を引きながら葵が少し複雑そうに笑う。
「……っはぁ……はぁ……だ、い……じょ……」
駄目だ、言葉を一言発すれば肺の中の酸素が足りなくなっちゃって、苦しい。
「あと半分くれーだから、頑張れ」
葵の励ましで、ついに私はそこに膝をついた。
そこ ――― 天まで続くのかと思うほどの石段の途中に。
ここが、俺ん家。
そう言って葵が指差したのは、山の上に鎮座するお寺へと続く石段だった。
こんなところにお寺があるなんて、知らなかった。
田舎ノ町からは少し離れていたから、あまり足を運んだこともない場所だったし。
石段の側には古めかしい石碑があり、草書で文字が刻まれている。私はそれを見て目を見開いた。
『久遠寺』
そう書かれていたのだ。
葵の名字は久遠寺……
葵の実家は寺だったのね……!
しかし私には、驚きよりも悲壮感の方が大きかった。
何故なら、寺があるのはこの長い長い石段の上。
葵の凄まじい体力の理由が、なんとなくわかった気がするわ……。
そうして私は石段に足をかけたわけだが。
「まだ半分なの!? もう無理、少し休ませて……」
石段に腰かければ眼下には町並み。
遠く、私たちの母校である新田舎ノ中学校までが拝める絶景がある。
「まあ休みなしでよくここまで来たとは思うけどな……」
となりに腰を下ろして同じように絶景を眺める葵は息ひとつ乱れていない。
「つってもなぁ……あんまのんびりしてるわけにもいかねーし。しゃあねぇ、乗れ」
事も無げに言った葵は私の前に背を向けてしゃがみこむ。
これは、つまり……おぶってってやると?
「無茶言わないでよ、そんな恥ずかしいこと……!」
「なら自分の足で上るか?」
言われて残る石段を見上げる。
終わりの見えない石段と、葵を交互に見つめて…………
「鞄は頼むぜ」
「わ、わかった……」
……今、私は葵と自分の鞄を手に、彼の背にいる。
大丈夫なのかしら、こんなの踏み外したら痛いで済まないわよ?
なんて、戦々恐々だったのだけど。
葵はまるで私なんか背負っていてもいなくても変わらない、とばかりに颯爽と石段を上る。
「ご、こめんなさい、重いでしょ?」
「はぁ? お前一人くらいどってことねーよ。伊達に鍛えてねーぞ」
ほんとに……なんで息が上がらないのかしら。
「弓道部のエースも自力で勝ち取ったしな」
ああ、そうか。
毎日こんな石段を登り降りしてたら体力もつくしね。
「ほら、着いたぜ」
「えっ、もう!?」
ゆっくりと葵の背から降り、視線を上げれば目の前には想像していたより立派なお寺。
「檀家さんとかもジジイの代からの付き合いでさ。ちなみに親父は次男なんだけど、同居してる長男……伯父さんが会社やってて、家計は一緒なんだ。うちも戒名とかなんだかんだで儲かってるしな……つーことでボロ寺じゃなくて悪ぃな」
「べ、別に期待してたわけじゃないわよ? あんまり立派だから、呑まれちゃって……」
「ははっ! そりゃどーも! とりあえず俺の部屋へ行こうぜ。本堂の裏にあるから、こっちから回るんだ」
説明しながら歩き出した葵の後を歩きながら、私は本堂を見上げた。
お寺に詳しいわけではないけれど、これがかなり大きな部類に入るということくらいはわかる。
確かに、これなら許嫁をどうとか言ってもおかしくないかもしれないわね……
「おい、どこいくんだよ。こっちこっち」
葵の声が後ろから聞こえて振り返る。
いつの間にか追い越していたみたい。
手招きする葵の後ろには、小さな事務所のような建物があった。
「プレハブでいいっつったんだけどよ。伯父さんがそれは可哀想だからワシが建ててやる! ってな……てわけで、まあこれが俺の部屋」
「部屋っていうか……お寺の敷地内に一人暮らしみたいなものじゃないの、これ」
「まーなー」
「ご飯とかどうしてるの?」
「部屋に電話あるし。内線で呼ばれるから」
「はぁぁ……」
セールがどうとか、生活を切り詰めてた葵からはかけ離れた世界に思わず溜め息がもれる。
葵はお構い無しにドアを開け、私に手招きをした。
「ま、汚ねえとこだけど、どーぞ」
「お、お邪魔します……」