「もう! さっきから堂々巡りじゃない! きちんと打開策を構築出来ないのならこんな会議は時間の無駄です! 叩き台になるような案と、対案をきちんと考えてからもう一度話し合いの場を儲けます、異論はあって!?」
私はバンッと両手で机を叩いて立ち上がる。じろりとねめつけた会議室の円卓。
頼りにならない騎士達は気圧されるままに首を振り。
「ないわね! なら解散!」
言うが早いか、机の上に散らばった書類を手早く纏め、私は席を立つと振り返ることなく会議室を足早に出た。
大人たちのやり方、それは確かに学ばなければならないこと。
でも私には妥協は出来ないの。
それなりに美味しい思いをして、地域ともそれなりに折り合いをつけて、程ほどに不正を見ないふり。
そんなものが大人たちのやり方ならば、私はまだまだ大人にならなくていいわ。
とは言っても成人式は今年済ませた。
一応、社会的には大人の扱い。
「はぁ……理事長になって6年も経つのに、まだまだ思うようには行かないわねぇ」
理事長室へ向かう廊下から、満天の星空を見上げて私は大きくため息をついた。
こんな日は、葵やわぴこ、北田くんと居酒屋にでも行ってワイワイ騒ぎたいところなんだけど……生憎、今から行けばもう帰れない時間になるのは明らかで。
「少し、散歩でもして帰りましょうか」
7月、梅雨が明けて本格的に暑くなり出したこの時期。
こんなに星が綺麗に見える夜も珍しく、せっかくだからと私はすぐさま学校を出て自宅とは逆に歩き出した。
歩くと蒸し暑さは感じるが、そよそよと吹く風に汗は引いてゆく。
星空を見上げて歩く私の鞄の中で、不意に小さな音がした。
僅かな振動を伴うそれは、携帯のバイブレーション。
慌てて鞄の中を探れば、淡く光る携帯のディスプレイには見慣れた名前が表示されていて。
「葵? どうしたのよこんな時間に」
「いや、明日のドイツ語の課題のことでさ」
「またやってないの、葵」
「ばっか、今回はちゃんとやったっての! じゃなくて、わかんねーとこあんだよ」
「あら……じゃ明日は雨ねぇ」
同じ大学に通う私と葵は、今では昔のように喧嘩ばかりということもなく。
互いに苦手な教科が被らないということもあって、よくこうして協力していたりする。
「じゃあ、今から行けばいいのね?」
「さ~すが千歳ちゃん! 頼むよ」
「その代わり今度の情報処理は教えなさいよね」
「まかせとけって! ……あー、あんま時間ねえからなるべく早く来てくれよな」
どこまでも勝手なんだから。
私は笑いながらも快諾した。
少し息抜きもしたかったし、まぁ勉強とは言っても葵と話が出来れば気も晴れるでしょうから。
葵の住むマンションに進路を変更し、急げと言うから仕方なく電車でひと駅の所を歩かず。
最終電車に間に合って良かった……
駅を降りると、夏を象徴するかのような生暖かい風がふわりと私の髪を揺らす。
その風が何故か甘く薫る気がしたが、あたりに花は咲いていなかった。
不思議な香り。
甘くて、やわらかくて、魅惑的で。
時折吹く風が運ぶ香りにうっとりしながら、私は葵のマンションへと急ぐ。
本当はこの香りを追いかけてみたい気持ちもあったのだけど、葵と約束しちゃったしね。
「でも、いい香り……」
うっかり、人もいないからと僅かの間、目など閉じてより深くその香りを堪能しようとしたのがいけなかった。
どんっと衝撃があって、私はふらふらとよろめき。
誰かにぶつかってしまったのだと気付き、取り敢えず謝罪をと思ったら頭上から笑い声が降ってきた。
「何やってんだか、危なかっかしいな。やっぱ迎えに来て正解だな」
その声は毎日学校で聞いていたそれ。
葵の声だった。
「葵! 私の着く時間がよくわかったわね」
「この時間の電車なんて限られてんだろ? 逆算すりゃ何時に着くかはわかるっての」
……田舎ならでは、ね。
「何で目なんか閉じてたんだ? ぶつかったのが俺じゃなくて電柱だったらかなり痛いぜ?」
「ちょっとね、いい香りがするなって思って……」
言うと葵は、ふぅん、と気のなさそうな返事をして大きく息を吸い込んだ。
「あ~……まぁ確かにここまで漂うってのもわからないでもねーな」
にやり、と笑いながら言った葵はゆっくりと歩き出す。
「この香り、好きか?」
唐突な問い。
……なんなの?
葵のコロン……ってわけじゃないわよね。
こんな近くにいてもわからない香りが、風に乗って漂うわけないし。
「嫌いじゃねんだろ?」
確かめるように言われて、私は困惑しつつ頷いた。
「じゃ、俺ん家に来たらいいもんが見られるかもな! 急ごうぜっ」
にっこり笑った葵がいきなり私の手を取り、早足で歩き出す。
一体なんなのかしら、今日の葵はやけに機嫌がいいみたいだけど。