(仮)6

10月も半ばにさしかかろうかという、まさに秋晴れの今日。

屋上を吹き抜ける風はカラリと爽やかで、あまりの心地よさに私は思わず目を細めた。


あたりを1周見回してみるが、特に景色がいいわけでもなく……一応、市街地からは少し離れているが、自然豊かな山の中にある学校というわけでもないので見えるのは住宅の屋根や道路、行き交う車といったありふれたものばかり。


まあ風は気持ちいいけど……静かで、人も居ないし……


…………人が居ない!?





「ああっ」

その瞬間に耳を打つのは、無情なるチャイムの音。


「予鈴が鳴っちゃった!」
「本鈴だよ」
「ええ!? 余計まずいじゃないですか、5時限目の授業が……!」
「そんなもん、サボるに決まってるだろ」


さも当然とばかりに言われて閉口してしまう。



「一服くらいさせてくれ」

よく見れば彼は右手に携帯灰皿を持ち、左手には火のついた煙草が。

そうだった、この人は不良と呼ばれる人種だった。


でも……そうなると、いよいよちょっと危ない?

屋上に連れてこられて、授業が始まってるから人もいなくて……ま、まさかデザートはお前なとか言われて美味しく頂かれちゃったり…………い、いやまさかね?

いつの間にかブツブツと独り言を呟きながら考えに集中していく私。



クッ、と彼が笑う声でハッとした。


「お前は考え事しだすと周りが見えなくなるタイプだな」


コツ、と頭上からゲンコツが降ってくる。
とっくに煙草を吸い終わった彼が側まで来ていた。



「す、すみません!」
「案内してやるって言ったろうが。屋上から順に降りていった方が楽だ」
「へっ?」
「この学校、後から建て増しとかしてるからややこしい所があんだよ。しっかり覚えなきゃ校内で遭難するぞ」
「は、はぁ……そうなんですか……」


断じて。今のは洒落ではない。後で気付いて顔から火が出るかと思うほど恥ずかしくなったが、駄洒落をいったわけではない、断じて。





でも、案内って、本気だったんだ……

てっきり案内なんて口実でどこかへ連れ込まれて、あんなコトやそんなコトをしようって魂胆じゃないかと思っていたから、肩透かしを食らったみたいになってすごく気の抜けた返事をしてしまった。

多分、顔も妙に気の抜けた表情が浮かんでいるんだろう。



彼 ──── 先輩は私のそんな様子を不思議そうに見つめ、それから口元を片手で覆って肩を震わせ。

ついには、我慢できないとばかりに盛大に吹き出し、大声で笑い転げた。
涙が滲むほどお腹を抱えて笑い、ふうふうと必死で息を整えている。





なんて、
なんて無邪気な顔で笑うんだろう。




私は、先輩の表情に釘付けになっていた。

シニカルに微笑むのではなく、ただひたすら面白いと笑うこの人が、悪い人だとは思えない。

まぁ、どこまでが悪い人という決まりがあるわけではないし、世の中には人畜無害に見える凶悪な犯罪者とかもいるから、あまりアテにはならないのかもしれないけど。




「はぁ……ああ、こんなに笑ったのはいつぶりだ……あーハラ痛てぇ」


未だ目元に滲む涙を指で拭いながら、先輩は子供にするように私の頭を撫でた。

「期待してたんなら悪かったな。お楽しみはまた後で、な」

随分と不穏なことを言われているのだけど、彼の笑顔に釘付けになっていた私はコクンと頷いた。

楽しかったと笑っている彼。
そんな笑顔を見ると、眩しくて……安心してしまって。何故?





転びかけたわけでもないのに、また胸がドキドキしているのは、どうして?


「行くか。5階は特別教室だ、よく使うことになるからちゃんと覚えとけよ」


私の手を取って歩き出した彼はもう笑ってはいなかったけど、皮肉げでも、小馬鹿にするでもない、とても自然な表情になっている気がして。
何故だか、その顔をじっと見つめることが出来ず、階段を見つめた。


一歩一歩ゆっくりと降りながら思う。


最初に感じたはずの恐怖心は、もうすっかり何処かに置き忘れてきたようで、私の心から消え去っていると。
むしろ今は、この人の事をもっとちゃんと知りたいと思っている……






「ほらちゃんと前見てろ、また転ぶぞ」

──── 琴馬、ちゃんと前を見てなきゃ転んじゃうだろ?




ひとつ先の段を降りながら、諌めるように、それでも優しい声色でそう言った彼と、昔の兄の姿がダブって見えて、驚いた。

そうか、タイプは全然違うのに、どこかしら兄と雰囲気が似ているんだ…………なるほど安心してしまうわけだった。