Pretty lip・1(葵×千歳)

 12月に入り、寒い日々が続いていた。
千歳も新しいマフラーを毎日愛用している。

俺もさすがにブルゾンの下にはセーターを着用しているわけだが、寒さよりも深刻な問題があった。


冬場の悩みのひとつで、毎年かなり痛い目を見ているのだ……




「ばっかそれは……痛ぇ!」

放課後の教室で雑談中のことだった。
「それ」は突然やってくる。



「どーしたの葵ちゃん」
「いっちちち……笑った瞬間に唇が切れちまった」
「あ~、空気乾燥してるもんね」
「いってー……しばらくラーメンは食えねえなあ」


そう。毎年俺を悩ませてくれるのは空気が乾燥して唇がカサカサになった後に割れる、というあの状態。

しかも忘れた頃にうっかり笑ってしまってまた割れるという、ひたすら厄介なやつだ。





「あ、そろそろ最後の生徒会の時間だね。いこっか」
わぴこが立ち上がる。

秀一と千歳はとっくに行って書類やなんやの準備をしているのだろう、教室に姿はなかった。

まあ最後くらいはサボらずに出てやるか……











「今年も一年お疲れ様でした。それでは二学期最後の生徒会を始めたいと思います」

「来年度は私たちも二年になり、大学進学なり就職なりを考えることになるから……今年は後輩にちゃんと引き継げるようにマニュアル作りに取り組んできたわけですが……」

千歳が書類を手に今年のことを振り返る。
新田舎ノ高校を設立したのは千歳と千歳の母親だ。
といっても校舎は新田舎ノ中学と隣り合わせに立っている。

いわゆる中高一貫というやつになったわけだ。


「まあ多分、今中等部の生徒会をやってる子達がそのまま上がってくると思うから、詳細なところは手のあいてる時間にでも補足していけたらいいなと思ってるの」
「そうですね。我々も完全に時間が取れなくなるというわけじゃありませんし」


わぴこが慣れた手つきで議事録をとる。
まあ中学の頃からやってるわけだしな……



「というわけで、マニュアル作りについてはこんなところなんだけど……」
秀一がペラリと次の書類を手に取った。
俺もめくってみると、そこには見覚えのある表。

俺が作った今年度二学期までの予算と出費の表だ。


「それじゃ予算については会計の葵にバトンタッチだね」
「おう」

と言っても俺は結構サボってるから、代役を務める秀一でも進行は出来るんだけどな。
まあ正規の会計がいるならそっちへ振るのは当然か。


「えーっと、まあ見てもらえばわかるんだけどよ。吹奏楽部の予算が圧倒的に足りてないんだよな。ただ生徒会としても功績のない部にいくらでも出資してやるわけにもいかねえのが辛いとこなんだけど……来年度、あと10万上乗せできないかと直訴されてる」
「10万ねえ……ハイそうですかと出せる額ではないけど……どうなの? 功績がないのは知ってるけど今後なんとかなりそうな感じ?」

千歳の問いにはわぴこが答える。

吹奏楽部は今年の市内コンテストで3位に入ってるよ。この分だと来年はもうちょっと上手になるんじゃないかなぁ」

「そう……なら先行投資ということで一応上乗せの予定を組み込んでおきましょうか」
「そーなるとどっか削らねーといけなくなるんだけどな、どうする?」



……延々と話を続けて。
今学期最後の会議ともなるとすっかり日が暮れた頃になっても終わらない。

「参ったわね……予算の件だけが未解決のままだわ」
「もう下校時間も過ぎていますし、先生方も帰られる頃ですから……切り上げないと」

「んー……明日は天皇誕生日で休みですし明後日は終業式だものね……」
「終業式の日に残るしかないですかね……」

「うーん……そうだ葵、今から時間ある?」
「あ? 別に用はないけどよ」
「そう、ならちょっと喫茶店でも寄って帰りましょうよ。そこで話を詰めちゃいましょ」
「ああ、ちょうど小腹も減ってるしそうすっか。秀一とわぴこはどうする?」

「僕はうちで晩御飯が待ってるからね、あまり遅くなれないんだ」
「わぴこも今日は早く帰ってきなさいって言われてるんだぁ……」


「あらま……二人ともダメか、どうする千歳」
「うーん……それじゃあ議事録は私が取るわ。とりあえず会計の葵がいれば話は出来るし、行きましょ」
「了解」
















「うっわ……さみぃ」
「ほんと、冷えるわね……もうじきクリスマスだものねえ」

外に出ると冷たい風が頬を切るように吹き付ける。

「それじゃあ、二人ともあまり根を詰めすぎないように」
秀一が念を押して。

「じゃあね、ちーちゃん、葵ちゃん」
わぴこもにこやかに俺たちに手を振ると歩き出した。


俺たちが向かっている喫茶店は秀一達の帰り道とは逆方向。
二人並んで、足早に店へと向かう。

「いちッ」
俺は吹き付ける風から少しでも。顔を守ろうとマフラーを口元まで上げて、思わず声を上げた。
切れた唇のかさぶたにマフラーの毛足が引っかかってしまったのだ。

「どうしたの?」
「あーいてて……唇切れてんの忘れてたぜ……」

「あらまあ……痛そうねえ、リップクリームとか持ってないの?」


千歳が気の毒そうに俺の唇を凝視する。

「そんなもん男が持つかよ。帰ったらメンタームでも塗りこむさ」
「ダメよそんなの! 普段からちゃんとケアしておかないとまた割れちゃうわよ?」
「やだねー」
「もう、心配して言ってあげてるのに!」


千歳と追いかけっこをするように駆けて、体を温めながら俺たちは商店街へと走った。
「ふー、ついたついた。あったかい紅茶が飲みたいわ」
「俺はアイスだな……熱いのだと痛そうだ」
「だからリップ塗りなさいって言ってるのに……」
「めんどくせーもん」


「いらっしゃいませ」

カラン、カランとドアチャイムが鳴り。
店内の暖かな空気にホッとして俺たちは奥の広めのテーブルについた。
いそいそと千歳が書類を出しているとウェイトレスがやってくる。


アールグレイをストレートで」
「アイスコーヒー」
「かしこまりました」


とくにメニューを見ることもなく、さっさと注文をすませて互いに筆記具を取り出す。

「さて、と。予算削減の対象をどうするかってところからよね」
「ああ、一つの部にいきなり10万の削減とか言うと反発がでかそうだからな。功績の上がってない部から少しずつってのがいいと思うんだよな……」
「そうねえ……でももともと少ない部からは難しいじゃない?」
「うーん……」


「お待たせいたしました、アールグレイとアイスコーヒーでございます」


運ばれた飲み物に、一旦手を止め。
会議での疲れを吐き出すように、お互いにホウと息をついた。

「あー……とりあえず話はこれ飲み終わってからにしようぜ?」
「そうね。せっかくの紅茶が冷めちゃっても勿体無いし……」






というわけで、それからケーキセットを追加注文して暫くは談笑することとなったのだが。