(仮)30
琴馬が初めてのコース料理にアタフタしつつも、しっかりと味わって、プッシー・キャットも飲み干した頃。
俺は煙草の先に火をつけて、ふうと紫煙を吐き出した。
「あの先輩、聞いてみたい事があるんですけど、いいですか?」
「ああ、答えられることなら答えるが……」
「えっと、まずいちばん聞きたいことはですね」
もじもじ、と恥ずかしそうな様子の琴馬。
ん? と先を促すと、小さな声で、これ夢じゃないですよね、と早口に呟いた。
「夢じゃないから安心しろよ……ってか夢であってたまるか」
あんまり可愛いことを言ってくれるなよ、と思う。
良かったとはにかむ笑顔が心を温かくするのを感じて、我ながらぞっこんだなと恥ずかしさも込み上げるが、まあ幸せなものは幸せなんだ、仕方ない。
「色々聞いてみたい事がいっぱいあるんです」
「ああ」
「先輩は、あの時代からずっとここに居るんですか?」
あの時代……戦国時代のことだろうな。
「いや、全国を転々としてたな。この町に来たのは10年ほど前だ」
「その頃からその姿で?」
「山に篭ってた頃はな。街の様子を見てみようと思って社会人やってた頃は30代くらいの姿だったが」
「あ、えらい額になった貯金ってもしかして……」
「そう、その頃のボーナスとか給与だな。何しろ使うアテもないから増える一方でな」
あの頃は、一応小さな部屋を借りてはいたが生活は天狗たちのたまり場とも言える次元の狭間が主だったので、食費は要らないし……趣味と言える趣味も無かったのでとにかく出費がほとんどなかった。
仕事は中々面白かったんで真面目にやってたら評価はガンガン上がって給与もガンガン上がるわけで
それまでの長い人生での貯金も合わせると、軽く豪邸が数軒立ちそうな金額になっている。
「納得しました……社会人かぁ。今はどうして高校生を?」
「そうだな……まぁ簡単に言えば調査ってとこかな」
俺がそう答えると、琴馬はハッと顔を強ばらせる。
「鬼を封じた木……ですか」
そうか、なるほどな。
この時期に転入生ってのは何かあると思ったが……
「お前の家は祓い屋だったな。得心がいった。お前もそれを調べに来たんだな」
「はい。……ただ、木が原因かどうかはハッキリしないっておばーちゃんも言ってた通り、寮で遭遇しちゃいましたけど」
一応、頻発する心霊現象を調べるってことなので木だけを見てる訳にもいかないですし、と琴馬は溜息をついた。
「俺は2年ほど前にこの辺りに強力な妖気を感じてな。ほんの一瞬で消えたが、大妖怪ともなれば妖気を消すことくらいは容易い。だからこそ小物じゃない可能性があるってんで、人間に化けて調べ始めたんだ。教師ってのは案外忙しいからな、生徒の方がやりやすいんで学生になったわけだが」
「あ……不良の振りをしてるのってもしかして」
「堂々と授業をサボって調べられるからな。まぁもともと人間とあまり関わるつもりもないから、人を寄せ付けないためでもあるが……」
ただ、何故かはわからないが札付きの不良に仕立てあげられていたのは閉口した。
大して悪さもしていないはずなんだが、人間てのは面白いもんだよな。
煙草を吸ってただけで、気付いたら暴走族を壊滅させたことになってるし……。
「あの、でしたら私の前ではもう不良の振りをすることもない、ですよ……?」
「してねえぞ?」
「えっ…………すいません、あの……正直あんまり……差がないような……」
「………………これは素なんだがな……」
ちょっと凹んだ。
つまり素の俺は素行不良に見えるってことか。
「ま、まあいい。とにかく、復活して俺に害を及ぼすものか、そうでないかを見極めようと思ってんだよ」
なるほど……と琴馬は空のグラスに手をやって、中身がないことに気付いてしゅんとする。
ウェイターに目配せをするとすぐに彼はやってきた。
「同じものを」
「畏まりました」
琴馬は嬉しそうにありがとうございますと言って、それから周りをチラリと見回して俺に向き直る。
「先輩は……祓ったりとかは考えてないんですか?」
「俺は祓い屋じゃないしな。他の妖どもと仲がいいわけじゃねぇけど、争ったり倒したりしようって関係でもねぇからな……だいいちそんなことを独断でやったら他の大天狗の奴らが黙っちゃいないだろうし」
特にあの口うるさいのが。
「妖怪の世界も色々あるんですねぇ」
「キッチリ決まってるわけじゃねぇけど、全く無秩序ってわけでもねぇんだ。濡れ女とか河童とかは単体で動く奴らが多い気がするが……見越し入道なんかは付喪神の連中を取りまとめてるし」
「先輩、ぬっぺふほふは!?」
突如、琴馬が身を乗り出してきた。
目が輝いている。
俺が目を見開くと、いけないいけないと恥じ入ってそっと椅子に深く座り直したが。
「小説とかで目にする名前が次々に出てきたもので、つい……」
「なるほど、そこそこ詳しいんだな。ぬっぺふほふは最近とんと見かけてねぇや。奴らも群れないタイプだったと思うが……それより琴馬」
「はい?」
「お前は、鬼が復活したら祓うのか?」
あの木に鬼が封じられているのかどうかはまだわからないが、そういう噂があるのなら可能性はゼロではない。
そうなった時、俺の立場だと人間の味方につくのは難しいかもしれないのだ。
俺は煙草の先に火をつけて、ふうと紫煙を吐き出した。
「あの先輩、聞いてみたい事があるんですけど、いいですか?」
「ああ、答えられることなら答えるが……」
「えっと、まずいちばん聞きたいことはですね」
もじもじ、と恥ずかしそうな様子の琴馬。
ん? と先を促すと、小さな声で、これ夢じゃないですよね、と早口に呟いた。
「夢じゃないから安心しろよ……ってか夢であってたまるか」
あんまり可愛いことを言ってくれるなよ、と思う。
良かったとはにかむ笑顔が心を温かくするのを感じて、我ながらぞっこんだなと恥ずかしさも込み上げるが、まあ幸せなものは幸せなんだ、仕方ない。
「色々聞いてみたい事がいっぱいあるんです」
「ああ」
「先輩は、あの時代からずっとここに居るんですか?」
あの時代……戦国時代のことだろうな。
「いや、全国を転々としてたな。この町に来たのは10年ほど前だ」
「その頃からその姿で?」
「山に篭ってた頃はな。街の様子を見てみようと思って社会人やってた頃は30代くらいの姿だったが」
「あ、えらい額になった貯金ってもしかして……」
「そう、その頃のボーナスとか給与だな。何しろ使うアテもないから増える一方でな」
あの頃は、一応小さな部屋を借りてはいたが生活は天狗たちのたまり場とも言える次元の狭間が主だったので、食費は要らないし……趣味と言える趣味も無かったのでとにかく出費がほとんどなかった。
仕事は中々面白かったんで真面目にやってたら評価はガンガン上がって給与もガンガン上がるわけで
それまでの長い人生での貯金も合わせると、軽く豪邸が数軒立ちそうな金額になっている。
「納得しました……社会人かぁ。今はどうして高校生を?」
「そうだな……まぁ簡単に言えば調査ってとこかな」
俺がそう答えると、琴馬はハッと顔を強ばらせる。
「鬼を封じた木……ですか」
そうか、なるほどな。
この時期に転入生ってのは何かあると思ったが……
「お前の家は祓い屋だったな。得心がいった。お前もそれを調べに来たんだな」
「はい。……ただ、木が原因かどうかはハッキリしないっておばーちゃんも言ってた通り、寮で遭遇しちゃいましたけど」
一応、頻発する心霊現象を調べるってことなので木だけを見てる訳にもいかないですし、と琴馬は溜息をついた。
「俺は2年ほど前にこの辺りに強力な妖気を感じてな。ほんの一瞬で消えたが、大妖怪ともなれば妖気を消すことくらいは容易い。だからこそ小物じゃない可能性があるってんで、人間に化けて調べ始めたんだ。教師ってのは案外忙しいからな、生徒の方がやりやすいんで学生になったわけだが」
「あ……不良の振りをしてるのってもしかして」
「堂々と授業をサボって調べられるからな。まぁもともと人間とあまり関わるつもりもないから、人を寄せ付けないためでもあるが……」
ただ、何故かはわからないが札付きの不良に仕立てあげられていたのは閉口した。
大して悪さもしていないはずなんだが、人間てのは面白いもんだよな。
煙草を吸ってただけで、気付いたら暴走族を壊滅させたことになってるし……。
「あの、でしたら私の前ではもう不良の振りをすることもない、ですよ……?」
「してねえぞ?」
「えっ…………すいません、あの……正直あんまり……差がないような……」
「………………これは素なんだがな……」
ちょっと凹んだ。
つまり素の俺は素行不良に見えるってことか。
「ま、まあいい。とにかく、復活して俺に害を及ぼすものか、そうでないかを見極めようと思ってんだよ」
なるほど……と琴馬は空のグラスに手をやって、中身がないことに気付いてしゅんとする。
ウェイターに目配せをするとすぐに彼はやってきた。
「同じものを」
「畏まりました」
琴馬は嬉しそうにありがとうございますと言って、それから周りをチラリと見回して俺に向き直る。
「先輩は……祓ったりとかは考えてないんですか?」
「俺は祓い屋じゃないしな。他の妖どもと仲がいいわけじゃねぇけど、争ったり倒したりしようって関係でもねぇからな……だいいちそんなことを独断でやったら他の大天狗の奴らが黙っちゃいないだろうし」
特にあの口うるさいのが。
「妖怪の世界も色々あるんですねぇ」
「キッチリ決まってるわけじゃねぇけど、全く無秩序ってわけでもねぇんだ。濡れ女とか河童とかは単体で動く奴らが多い気がするが……見越し入道なんかは付喪神の連中を取りまとめてるし」
「先輩、ぬっぺふほふは!?」
突如、琴馬が身を乗り出してきた。
目が輝いている。
俺が目を見開くと、いけないいけないと恥じ入ってそっと椅子に深く座り直したが。
「小説とかで目にする名前が次々に出てきたもので、つい……」
「なるほど、そこそこ詳しいんだな。ぬっぺふほふは最近とんと見かけてねぇや。奴らも群れないタイプだったと思うが……それより琴馬」
「はい?」
「お前は、鬼が復活したら祓うのか?」
あの木に鬼が封じられているのかどうかはまだわからないが、そういう噂があるのなら可能性はゼロではない。
そうなった時、俺の立場だと人間の味方につくのは難しいかもしれないのだ。
(仮)29
遠く、遥か遠くに見える山の稜線に、鮮やかな朱色が沈んで行くのを、私たちは黙って見つめていた。
先輩が、人ではない ────
驚いたかと問われれば、それはもちろん。
思わず涙も止まるほど驚いた。
目の前に、大きな黒い翼を持った「天狗」が浮いていたのだから。
だけど、あの時の私は
目の前の天狗が先輩だとか、そんな事よりも。
翼がある、浮いている、今掴まなければ……二度と会えないところへ飛んで行ってしまう、と。
それしか考えていなかった。
「そう言えばあの時、私がここに一人で取り残されて、どうやって帰るのかとか考えなかったんですか?」
ふと浮かんだ疑問をぶつけると先輩は可笑しそうに笑った。
「俺は天狗だぞ。お前を一瞬で寮に送り届けるくらいは簡単なことだ」
「天狗ってそんなことも出来るんですね」
「まぁ、大天狗クラスでないと出来ねぇだろうけどな」
つまり。
先輩は、大天狗だということ?
「しかし……頭が痛てぇな……人間の娘に惚れたと知れればアイツらがなんて言うか」
「アイツら?」
「この地方には5人の大天狗がいて、一応ではあるが治めてるというのかな、治安の維持だとかを担ってるんだ。まぁ人間のそれほどキッチリしたもんじゃねえけどな」
「先輩は、そのうちのおひとりなんですね」
「ま、そういうこったな」
もしかしなくても、先輩はかなり偉い妖怪さんなのではなかろうか。
そもそも大天狗って、高僧とかがなることが多かったような……元々の徳が高かったり、素養がないと無理だって話を何かで読んだことはある。
「んでまぁ、その大天狗の中にな、口うるさいのがいやがるんだよ。今は小学生か中学生くらいのガキの姿をしてるんだが、その姿のままで延々と説教を食らうんだ、正座させられて」
正座させられて子供にガミガミ言われ、小さくなっている先輩を想像して私は思わず笑いかけて
いやいや、でも私のせいだしなと無理やり口元を引き締める。
「とは言え……もう、お前の記憶を消したり俺が消えたりってのは出来そうにないな」
いつもの、優しい苦笑いで先輩は私を見つめて。
ゆっくりと、顔を近づけて。
互いの唇が今にも触れそうなほど、近くで。
私の目を、真っ直ぐに見つめて。
「あれだけの覚悟を見せられたんじゃ、俺も応えないわけには行かねぇよ」
囁く先輩の顔は、泣きそうで。
そんな先輩が愛おしくて。
私は、微笑みを浮かべようとして
出来なかった。
嬉しすぎると、人は泣いちゃうのかな。
にわかに目の前が歪んで、ぼろぼろと涙が溢れ出る。
「……泣き虫」
くす、と笑った先輩は、私に口付けた……。
日が沈み切った頃、先輩はふわりと枝から浮き上がり私を抱き上げ。
「そろそろ展望台に戻るか。遅くなるとレストランに入れなくなりそうだしな」
そうだった。バイクも脇道に停めっぱなしだし、大丈夫だろうかと不安になったのだが
そんな私の心配をよそに、バイクは停めた時と寸分違わぬ姿のままそこで私たちの帰りを待っていてくれた。
レストランはちょうどカフェタイムからディナータイムに変わったところで。
ギリギリ、待たずに入れたのは本当にラッキーだったかもしれない。
私たちが席につくとすぐに入口に列ができ始めていた。
「飲酒運転になっちまうから酒は今度だな」
渋い顔でそう言った先輩はメニューを眺めて、ノンアルコール・カクテルのページを開いた。
どれか飲みたいのはあるかと聞かれても、見たことも無いカクテルの名前だけが並んだメニューはまるで外国語が並んでいるようにしか見えなくて。
黙って、助けを求めるように先輩を見つめると、わかったわかったと先輩は笑った。
「彼女にはプッシー・キャット、俺はヴァージン・メアリーを。それから、Aのコースを頼む」
「畏まりました」
てきぱきと注文する先輩を見て惚れ惚れとしてしまう。
なんと言うか……年相応ではないよねぇ、すごく大人の男性って感じで
ってそりゃそうか、先輩は18歳じゃないんだった。
「どうした? 顔が赤い……ああ、カクテルの名前か?」
「えっ」
「プッシー・キャットのプッシーはそっちの意味じゃないぞ。子猫だからな」
そっちというと。
あ、うん。
小説とか読んでたから知らない訳では無い。女性の性器を指す言葉ね、うん。
「可愛い子猫って意味だよ。お前にぴったりだろ」
俺の可愛い子猫だからな、とテーブルに肩肘をついてニヤリと笑われて、私は益々顔を赤くするしかなくて。
先輩、かっこよすぎませんか?
「ちなみにヴァージン・メアリーはブラッディ・メアリーのノンアルコール版てとこだな。本来ならウォッカをベースにするんだが、俺が頼んだのはトマトジュースにレモン果汁とタバスコ、ウスターソースが入ったやつ」
「へぇ、そういうのもあるんですね……なんだか辛そう」
「お前のは甘いから安心しな。オレンジジュースとパイナップルジュースにグレープフルーツジュースを少し、あとはグレナデンシロップで色付けしてある甘いカクテルだ」
「わ、美味しそう……」
期待を持ったところに、待ってましたとばかりにやってくるウェイター。
「お待たせ致しました」
運ばれてきたそれは、さっき見た夕日をグラスに閉じ込めたような、綺麗な橙色。
グラスの半分近くはクラッシュドアイスで埋まっていて、本当に夕日が沈んで行く瞬間を切り取ったかのようなグラデーションが美しい。
シャンパングラスの縁には飾り切りされたオレンジが可愛らしくふたつ乗っていて、ふわっと柑橘系の甘い香りがする。
先輩の方は、背の高いタンブラーに、血のように紅いトマトジュース、グラスの縁に一切れのレモンというシンプルなものだった。
何に乾杯すべきかな、と先輩は少し考えて。
そっとタンブラーを手にする。
私も倣ってシャンパングラスを持ち上げた。
「永遠の愛の始まりに」
かちん、と
触れるか触れないか、グラスがぶつかる瞬間。
先輩は、確かに囁いた。
「これからは、共に先を見つめていくと誓う」
先輩が、人ではない ────
驚いたかと問われれば、それはもちろん。
思わず涙も止まるほど驚いた。
目の前に、大きな黒い翼を持った「天狗」が浮いていたのだから。
だけど、あの時の私は
目の前の天狗が先輩だとか、そんな事よりも。
翼がある、浮いている、今掴まなければ……二度と会えないところへ飛んで行ってしまう、と。
それしか考えていなかった。
「そう言えばあの時、私がここに一人で取り残されて、どうやって帰るのかとか考えなかったんですか?」
ふと浮かんだ疑問をぶつけると先輩は可笑しそうに笑った。
「俺は天狗だぞ。お前を一瞬で寮に送り届けるくらいは簡単なことだ」
「天狗ってそんなことも出来るんですね」
「まぁ、大天狗クラスでないと出来ねぇだろうけどな」
つまり。
先輩は、大天狗だということ?
「しかし……頭が痛てぇな……人間の娘に惚れたと知れればアイツらがなんて言うか」
「アイツら?」
「この地方には5人の大天狗がいて、一応ではあるが治めてるというのかな、治安の維持だとかを担ってるんだ。まぁ人間のそれほどキッチリしたもんじゃねえけどな」
「先輩は、そのうちのおひとりなんですね」
「ま、そういうこったな」
もしかしなくても、先輩はかなり偉い妖怪さんなのではなかろうか。
そもそも大天狗って、高僧とかがなることが多かったような……元々の徳が高かったり、素養がないと無理だって話を何かで読んだことはある。
「んでまぁ、その大天狗の中にな、口うるさいのがいやがるんだよ。今は小学生か中学生くらいのガキの姿をしてるんだが、その姿のままで延々と説教を食らうんだ、正座させられて」
正座させられて子供にガミガミ言われ、小さくなっている先輩を想像して私は思わず笑いかけて
いやいや、でも私のせいだしなと無理やり口元を引き締める。
「とは言え……もう、お前の記憶を消したり俺が消えたりってのは出来そうにないな」
いつもの、優しい苦笑いで先輩は私を見つめて。
ゆっくりと、顔を近づけて。
互いの唇が今にも触れそうなほど、近くで。
私の目を、真っ直ぐに見つめて。
「あれだけの覚悟を見せられたんじゃ、俺も応えないわけには行かねぇよ」
囁く先輩の顔は、泣きそうで。
そんな先輩が愛おしくて。
私は、微笑みを浮かべようとして
出来なかった。
嬉しすぎると、人は泣いちゃうのかな。
にわかに目の前が歪んで、ぼろぼろと涙が溢れ出る。
「……泣き虫」
くす、と笑った先輩は、私に口付けた……。
日が沈み切った頃、先輩はふわりと枝から浮き上がり私を抱き上げ。
「そろそろ展望台に戻るか。遅くなるとレストランに入れなくなりそうだしな」
そうだった。バイクも脇道に停めっぱなしだし、大丈夫だろうかと不安になったのだが
そんな私の心配をよそに、バイクは停めた時と寸分違わぬ姿のままそこで私たちの帰りを待っていてくれた。
レストランはちょうどカフェタイムからディナータイムに変わったところで。
ギリギリ、待たずに入れたのは本当にラッキーだったかもしれない。
私たちが席につくとすぐに入口に列ができ始めていた。
「飲酒運転になっちまうから酒は今度だな」
渋い顔でそう言った先輩はメニューを眺めて、ノンアルコール・カクテルのページを開いた。
どれか飲みたいのはあるかと聞かれても、見たことも無いカクテルの名前だけが並んだメニューはまるで外国語が並んでいるようにしか見えなくて。
黙って、助けを求めるように先輩を見つめると、わかったわかったと先輩は笑った。
「彼女にはプッシー・キャット、俺はヴァージン・メアリーを。それから、Aのコースを頼む」
「畏まりました」
てきぱきと注文する先輩を見て惚れ惚れとしてしまう。
なんと言うか……年相応ではないよねぇ、すごく大人の男性って感じで
ってそりゃそうか、先輩は18歳じゃないんだった。
「どうした? 顔が赤い……ああ、カクテルの名前か?」
「えっ」
「プッシー・キャットのプッシーはそっちの意味じゃないぞ。子猫だからな」
そっちというと。
あ、うん。
小説とか読んでたから知らない訳では無い。女性の性器を指す言葉ね、うん。
「可愛い子猫って意味だよ。お前にぴったりだろ」
俺の可愛い子猫だからな、とテーブルに肩肘をついてニヤリと笑われて、私は益々顔を赤くするしかなくて。
先輩、かっこよすぎませんか?
「ちなみにヴァージン・メアリーはブラッディ・メアリーのノンアルコール版てとこだな。本来ならウォッカをベースにするんだが、俺が頼んだのはトマトジュースにレモン果汁とタバスコ、ウスターソースが入ったやつ」
「へぇ、そういうのもあるんですね……なんだか辛そう」
「お前のは甘いから安心しな。オレンジジュースとパイナップルジュースにグレープフルーツジュースを少し、あとはグレナデンシロップで色付けしてある甘いカクテルだ」
「わ、美味しそう……」
期待を持ったところに、待ってましたとばかりにやってくるウェイター。
「お待たせ致しました」
運ばれてきたそれは、さっき見た夕日をグラスに閉じ込めたような、綺麗な橙色。
グラスの半分近くはクラッシュドアイスで埋まっていて、本当に夕日が沈んで行く瞬間を切り取ったかのようなグラデーションが美しい。
シャンパングラスの縁には飾り切りされたオレンジが可愛らしくふたつ乗っていて、ふわっと柑橘系の甘い香りがする。
先輩の方は、背の高いタンブラーに、血のように紅いトマトジュース、グラスの縁に一切れのレモンというシンプルなものだった。
何に乾杯すべきかな、と先輩は少し考えて。
そっとタンブラーを手にする。
私も倣ってシャンパングラスを持ち上げた。
「永遠の愛の始まりに」
かちん、と
触れるか触れないか、グラスがぶつかる瞬間。
先輩は、確かに囁いた。
「これからは、共に先を見つめていくと誓う」
(仮)28
泣きそうだった琴馬は、今はただ唖然として俺を見上げていた。
まぁ、当然だろうな。
背中に羽根生やした俺が目の前に浮いてるんだから。
「わかったろ、俺が消えるかと言った理由が」
俺は妖怪で、お前は人間だ。
実る恋ではなかったんだ、だから言いたくなかった。
曖昧な関係のまま、お前を傍に置いておこうとしたんだ、俺は。
俺は諦めたように笑って、高度を上げようとした。
愛しい子猫に別れを告げるために。
だが。
今度は俺が唖然とすることになった。
琴馬が少し後ずさりしたかと思うと、全力で走って飛び上がり……
俺に、しがみついたのだ。
いや、ぶら下がったと言うべきか?
一瞬高度が落ちかけて、反射的に高さを保つために力をこめた。
見下ろせば俺にしがみついている琴馬の足は地面から2メートル近く浮いている。
「いやです……! 先輩が消えるのも、忘れさせられるのも嫌! どっちもやらないって言ってくれるまで私、離れませんからっ……!!」
ぐぐっと、腰に回された手に力がこもるのがわかる。
「ちょ……ちょっと待てお前、あ、危な」
「待たない!」
「ば、馬鹿そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ! 落ちたらどうすんだ!」
「だって先輩が消えるとか言うから!」
琴馬はさらに腕に力をこめながら叫ぶ。
だが、か弱い女の細腕で自分の全体重を支えるのは楽ではないだろう、時折ずるっと落ちかけては慌てて力を入れ直している。
「先輩が消えるなんてやだ……やだぁぁ……」
震える声。
そして、弱くなっていく力。
琴馬もこのままでは持たないとわかっているのか、顔を上げて俺をキッと睨みつけると
「ぐぅっ!」
その顔が苦痛に歪んだ、がその目は俺を強く見つめ続けている。
まさか、こいつ ──── !?
「琴馬!!」
俺は力任せに琴馬の両腕を掴んで引き上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔、それに……血の滲んだ腕。
自分の腕に爪を立ててまで、こいつは俺を離すまいとしたのか……
俺は慎重に、ゆっくりと琴馬とともに地面に降り立つと力いっぱい琴馬を抱きしめた。
「お前……本当に、馬鹿だよ」
「馬鹿でいいです。先輩と離れるくらいなら」
「なんて奴だよ全く……こんなにして」
血塗れの腕をそっと持ち上げると、琴馬はイタタと声を上げた。
ご丁寧に親指以外の爪を全部突き立ててやがるな……しかしこれだけ出血があれば、いけるか……?
「きゃっ!?」
俺は琴馬の傷にゆっくりと舌を這わせ、血を舐めとる。
傷口に触れる度に小さく呻き声が聞こえるので見あげれば、痛みと恥ずかしさからなのか、随分と扇情的な表情をしやがる……無自覚に煽るのは良くないと今度しっかり教えてやらないとな。
「これだけあれば、行けるか……」
少ないかとも思ったが、こいつの持つ力のお陰なのか。
琴馬の血を贄として、俺は治癒の力を解放する。
「傷痕なんか残すなよ、綺麗な肌が台無しだろ」
まるで逆再生を見ているかのように塞がっていく傷口を見て、ぽかーんと口を開けている琴馬。
まぁ、羽根団扇をちゃんと持ってればこの程度は贄なんかなくてもやれたんだが……使うことも無いだろうと思って部屋に置きっぱなしなんだよな。
「こ、これは……?」
「まぁ、長く生きてりゃこんな芸当の一つや二つは身に付くもんだ」
「長く……ですか」
「戦国の時代から生きてんだ、この程度は贄がありゃ何とかなる」
にえ?
と可愛らしく首を捻られたので俺は溜息をひとつ。
「お前の血を頂いて妖力に転化したんだよ。攻撃するとか破壊するってのは楽だが、治癒となると少々厄介でな。ひどく消耗するから、髪や爪、血や肉を贄にするんだ」
これでよし、と手を離す。
傷痕はきれいさっぱり消えていた。
傷を治してそれじゃサヨナラ、という訳にもいかないだろうし、何よりそんな事をしようもんならコイツがまた無茶をしかねないので、観念した俺は琴馬を連れて山の頂上付近の大木に来ていた。
しっかりとした枝に2人で腰掛け、眼下に広がる町を眺める。
抱えて飛んだ時も、まだ俺の服を掴んでいたから
「もう勝手にいなくなったりしねぇから安心しろ」
と言ったらようやく納得してくれたらしい。
枝はがっちりと太く、悠々と俺たちの体重を支えてくれているので琴馬もやっと掴んでいた服を離してくれた。
「凄い! 展望台があんなに小さいです!」
「まぁ……そうだろうなぁ」
「風が気持ちいい~」
「……さっき泣いたと思ったらもう笑ってる、か。本当にお前は見てて飽きないな」
えへへと笑う琴馬につられて俺も笑う。
やっぱりこいつは笑った顔が一番可愛いな。
「天狗さんだったんですね、先輩は」
「よくわかったな。戦国時代に生まれてかれこれ500年以上は生きてるか……」
「でも、どうして消えるとか、記憶を消すとか……掟とかがあるんですか……?」
「いや、俺が辛かっただけだ。お前はじきに大人の女になって、ばあさんになって、あと数十年で俺を置いて死んでいく。きっと俺の傍にいることが辛くなる。自分だけが年老いて俺が変わらないことに絶望する……俺は、お前がそうなっていくのを見たくなかったんだ」
琴馬が息を呑むのがわかった。
それでも俺は続ける。
「妖怪と人間では生きる世界が違いすぎる。それならいっそ幸せな時間を永遠の思い出にしてしまおうって思ったんだよ」
我ながら弱いなと思うが、今でもその気持ちが消えた訳では無い。
先輩、と琴馬が俺を呼んだ。
にこり。
その顔は笑っている。
はずなんだが……
「先輩。平手打ちと、グーでパンチ、どっちがいいですか?」
あ、怒ってるなこれ。
「お、お前怒ると笑うのな……どっちも遠慮したいんだが?」
「もうっ! あと数十年じゃないんですよ! この肉体が朽ちても、私の心は……ずっと先輩の傍にいます」
むしろ、と琴馬は瞳を揺らした。
「私がおばあちゃんになって、シワシワになって、先輩にそっぽ向かれないか、その方が心配です」
やれやれ。
強気かと思えば急に弱気な顔を見せる。
目が離せない子猫だな、えらいのに惚れたもんだ……
いや……囚われた、のかもしれないな。
まぁ、当然だろうな。
背中に羽根生やした俺が目の前に浮いてるんだから。
「わかったろ、俺が消えるかと言った理由が」
俺は妖怪で、お前は人間だ。
実る恋ではなかったんだ、だから言いたくなかった。
曖昧な関係のまま、お前を傍に置いておこうとしたんだ、俺は。
俺は諦めたように笑って、高度を上げようとした。
愛しい子猫に別れを告げるために。
だが。
今度は俺が唖然とすることになった。
琴馬が少し後ずさりしたかと思うと、全力で走って飛び上がり……
俺に、しがみついたのだ。
いや、ぶら下がったと言うべきか?
一瞬高度が落ちかけて、反射的に高さを保つために力をこめた。
見下ろせば俺にしがみついている琴馬の足は地面から2メートル近く浮いている。
「いやです……! 先輩が消えるのも、忘れさせられるのも嫌! どっちもやらないって言ってくれるまで私、離れませんからっ……!!」
ぐぐっと、腰に回された手に力がこもるのがわかる。
「ちょ……ちょっと待てお前、あ、危な」
「待たない!」
「ば、馬鹿そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ! 落ちたらどうすんだ!」
「だって先輩が消えるとか言うから!」
琴馬はさらに腕に力をこめながら叫ぶ。
だが、か弱い女の細腕で自分の全体重を支えるのは楽ではないだろう、時折ずるっと落ちかけては慌てて力を入れ直している。
「先輩が消えるなんてやだ……やだぁぁ……」
震える声。
そして、弱くなっていく力。
琴馬もこのままでは持たないとわかっているのか、顔を上げて俺をキッと睨みつけると
「ぐぅっ!」
その顔が苦痛に歪んだ、がその目は俺を強く見つめ続けている。
まさか、こいつ ──── !?
「琴馬!!」
俺は力任せに琴馬の両腕を掴んで引き上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔、それに……血の滲んだ腕。
自分の腕に爪を立ててまで、こいつは俺を離すまいとしたのか……
俺は慎重に、ゆっくりと琴馬とともに地面に降り立つと力いっぱい琴馬を抱きしめた。
「お前……本当に、馬鹿だよ」
「馬鹿でいいです。先輩と離れるくらいなら」
「なんて奴だよ全く……こんなにして」
血塗れの腕をそっと持ち上げると、琴馬はイタタと声を上げた。
ご丁寧に親指以外の爪を全部突き立ててやがるな……しかしこれだけ出血があれば、いけるか……?
「きゃっ!?」
俺は琴馬の傷にゆっくりと舌を這わせ、血を舐めとる。
傷口に触れる度に小さく呻き声が聞こえるので見あげれば、痛みと恥ずかしさからなのか、随分と扇情的な表情をしやがる……無自覚に煽るのは良くないと今度しっかり教えてやらないとな。
「これだけあれば、行けるか……」
少ないかとも思ったが、こいつの持つ力のお陰なのか。
琴馬の血を贄として、俺は治癒の力を解放する。
「傷痕なんか残すなよ、綺麗な肌が台無しだろ」
まるで逆再生を見ているかのように塞がっていく傷口を見て、ぽかーんと口を開けている琴馬。
まぁ、羽根団扇をちゃんと持ってればこの程度は贄なんかなくてもやれたんだが……使うことも無いだろうと思って部屋に置きっぱなしなんだよな。
「こ、これは……?」
「まぁ、長く生きてりゃこんな芸当の一つや二つは身に付くもんだ」
「長く……ですか」
「戦国の時代から生きてんだ、この程度は贄がありゃ何とかなる」
にえ?
と可愛らしく首を捻られたので俺は溜息をひとつ。
「お前の血を頂いて妖力に転化したんだよ。攻撃するとか破壊するってのは楽だが、治癒となると少々厄介でな。ひどく消耗するから、髪や爪、血や肉を贄にするんだ」
これでよし、と手を離す。
傷痕はきれいさっぱり消えていた。
傷を治してそれじゃサヨナラ、という訳にもいかないだろうし、何よりそんな事をしようもんならコイツがまた無茶をしかねないので、観念した俺は琴馬を連れて山の頂上付近の大木に来ていた。
しっかりとした枝に2人で腰掛け、眼下に広がる町を眺める。
抱えて飛んだ時も、まだ俺の服を掴んでいたから
「もう勝手にいなくなったりしねぇから安心しろ」
と言ったらようやく納得してくれたらしい。
枝はがっちりと太く、悠々と俺たちの体重を支えてくれているので琴馬もやっと掴んでいた服を離してくれた。
「凄い! 展望台があんなに小さいです!」
「まぁ……そうだろうなぁ」
「風が気持ちいい~」
「……さっき泣いたと思ったらもう笑ってる、か。本当にお前は見てて飽きないな」
えへへと笑う琴馬につられて俺も笑う。
やっぱりこいつは笑った顔が一番可愛いな。
「天狗さんだったんですね、先輩は」
「よくわかったな。戦国時代に生まれてかれこれ500年以上は生きてるか……」
「でも、どうして消えるとか、記憶を消すとか……掟とかがあるんですか……?」
「いや、俺が辛かっただけだ。お前はじきに大人の女になって、ばあさんになって、あと数十年で俺を置いて死んでいく。きっと俺の傍にいることが辛くなる。自分だけが年老いて俺が変わらないことに絶望する……俺は、お前がそうなっていくのを見たくなかったんだ」
琴馬が息を呑むのがわかった。
それでも俺は続ける。
「妖怪と人間では生きる世界が違いすぎる。それならいっそ幸せな時間を永遠の思い出にしてしまおうって思ったんだよ」
我ながら弱いなと思うが、今でもその気持ちが消えた訳では無い。
先輩、と琴馬が俺を呼んだ。
にこり。
その顔は笑っている。
はずなんだが……
「先輩。平手打ちと、グーでパンチ、どっちがいいですか?」
あ、怒ってるなこれ。
「お、お前怒ると笑うのな……どっちも遠慮したいんだが?」
「もうっ! あと数十年じゃないんですよ! この肉体が朽ちても、私の心は……ずっと先輩の傍にいます」
むしろ、と琴馬は瞳を揺らした。
「私がおばあちゃんになって、シワシワになって、先輩にそっぽ向かれないか、その方が心配です」
やれやれ。
強気かと思えば急に弱気な顔を見せる。
目が離せない子猫だな、えらいのに惚れたもんだ……
いや……囚われた、のかもしれないな。
(仮)27
どこへ行くのか、とは聞かなかったし、先輩も何も言わなかった。
黙って5分ほど走ると先輩は、舗装もされていない脇道へ入り、そこでバイクを降りた。
「ここから少し奥へ入ると小川があるんだ。展望台が有名すぎて、誰も来ない」
言いながら先に立って歩き出す。
少し進んで振り返った先輩は、目で「怖いか?」と問うていた。
私は迷わず後を追う。
まだ日は高く辺りは明るかったが、鬱蒼と繁る木々に覆われた道は薄暗い。
それでも怖いとは思わなかった。
先輩といる、ただそれだけで。
私が隣に立ったのを確認して、また先輩はゆっくりと歩き出した。
5分くらいは歩いただろうか?
何かの音が聞こえた気がして、私は立ち止まる。
「川のせせらぎ……」
「そこだよ、見てみな。このかなり上に源流がある」
本当に小さな、飛び越えられそうな小川。
サラサラと、透明な水が流れていた。
「綺麗なお水……」
「一応、霊験あらたかな水のはずなんだがな。その事を知ってるのはもう年寄りくらいだろうな」
言って、先輩は私の前に立った。
「さて、何から話したもんかな」
さっきのレストランでの先輩は、酷く焦っていた。
私を構う理由をひとつひとつ突き詰めていって、最後にはその理由がわかったようだったけれど
何故だか、その事に戸惑いと後悔を感じているようにも見えた。
「先輩。私、大丈夫です。今すごく落ち着いてますから」
あれだけ話すのを渋ったくらいだから、今もまだ先輩は迷っているんだろう。
私は何を聞かされても大丈夫だから、と笑ってみせた。
「ったくお前は……怖がりの癖に、妙なとこで度胸がある」
先輩はやれやれ、と苦笑いして私の頭を撫でた。
「結論から言った方がいいか?」
結論。
私の事をどうして構うのか、その理由。
たとえそれが、妹のように思えるからとかでも、私はもう構わない。
ただ、私が先輩を好きだというこの気持ちには一点の曇りもないのだから。
「はい。どんな結論でも、私はもう自分の心に嘘はつけませんから」
「…………ん? ちょっと待て、そりゃどういう意味だ?」
「私、先輩が好きです」
「なっ……!?」
もっと、ドギマギして。
一言を告げるのがとても苦しいものだろうと思っていたのに。
人生初の「告白」は、微笑みすら浮かべてさらりと口を滑り出た。
「一目惚れだったみたいです。最初は声がすごく心地好いって感じて、それから笑った顔が素敵だなって思って……本当はすごく優しい人だって気付いて……今は、先輩のそばを離れるのが、泣いちゃいそうなくらい嫌だって思ってます。私、先輩のことが好きです」
穏やかに穏やかに言葉を重ねる私を、先輩は目を見開いて見つめていた。
そして、心底バツが悪そうに額に手を当てて。
「……先に言う奴があるか、この馬鹿……」
私を強く、抱きしめた。
「俺も一目惚れだったらしい。気付いたのはついさっきだけどな」
「先……輩……」
「考えてみりゃ、キスしたくなったり泊めてもいいと思うなんて、それ以外にないんだけどな。ただ、懐かれちゃいるが、お前のそれは憧れなのか恋心なのかわからなかった。だから試そうとしたんだ」
抱きしめて、髪を愛おしげに撫でてくれる先輩。
先輩のトレーナー越しに鼓動が聞こえて、それが、少し早い事に嬉しくなって。
でも、試そうとしたという言葉に心当たりがなくて。
少し首をひねって先輩の顔を見上げた。
「その先を見る勇気がないなら、今日のところは帰んなって言っただろ?」
「あ……!」
「まあ逃げられたわけだけどな。だから、憧れなんだろうと思ってた」
あの時私に選択権を与えたのは、そういう事だったのか……私は私で、先輩の心を測りかねてたけど、先輩も私の心を測りかねてたんだ……。
「お前が好きだ。……だからこそ、言うのを躊躇った」
先輩が腕を緩める。
「言えば、お前との出会いが無かったことになる……それが辛いな」
「せんぱい……?」
先輩は私から手を離し、ゆっくりと後ずさる。
「それとも、記憶は残したまま俺が消えるか?」
寄るな、と言われているようで私は一歩も動けない。
先輩の顔は笑っているけど、まるで泣いているようで。
「消えるって……何ですか、……そんなの嫌です」
「だが俺の事を忘れられるよりはいい」
じりじりと下がっていく先輩と、動けない私。
ただ、このまま動けないでいたら
先輩を永遠に失ってしまう
そんな確信だけが心に満ちていて。
「いや、先輩」
私は大きく首を振った。
瞼に滲む涙なんて気にしていられない。
手を伸ばさなければ。
そう思うのに、座り込んでしまいそうになる。
「……俺は」
──── バサ、と。
羽音が聞こえたと思うと、目の前に先輩の姿はなく。
「やだ、いやです!先輩!?」
私は半狂乱で叫ぶ。
消えるって、先輩が消えるって……どうして!
何が起こったのかなんて、わからないしわからなくていい。
ただ先輩がそこにいない恐怖だけが私を震わせる。
「……まだ、ここに居るさ」
「上」 ──── から。
先輩の声がした。
上……さっきまで先輩が立っていた場所の、「真上」
…………「空中」から。
泣きそうな、つらそうな微笑みを浮かべて私を「見下ろしている」先輩の背には、大きな黒い羽根があった ──── 。
「妖怪ってのは、本当に居るんだぜ」
黙って5分ほど走ると先輩は、舗装もされていない脇道へ入り、そこでバイクを降りた。
「ここから少し奥へ入ると小川があるんだ。展望台が有名すぎて、誰も来ない」
言いながら先に立って歩き出す。
少し進んで振り返った先輩は、目で「怖いか?」と問うていた。
私は迷わず後を追う。
まだ日は高く辺りは明るかったが、鬱蒼と繁る木々に覆われた道は薄暗い。
それでも怖いとは思わなかった。
先輩といる、ただそれだけで。
私が隣に立ったのを確認して、また先輩はゆっくりと歩き出した。
5分くらいは歩いただろうか?
何かの音が聞こえた気がして、私は立ち止まる。
「川のせせらぎ……」
「そこだよ、見てみな。このかなり上に源流がある」
本当に小さな、飛び越えられそうな小川。
サラサラと、透明な水が流れていた。
「綺麗なお水……」
「一応、霊験あらたかな水のはずなんだがな。その事を知ってるのはもう年寄りくらいだろうな」
言って、先輩は私の前に立った。
「さて、何から話したもんかな」
さっきのレストランでの先輩は、酷く焦っていた。
私を構う理由をひとつひとつ突き詰めていって、最後にはその理由がわかったようだったけれど
何故だか、その事に戸惑いと後悔を感じているようにも見えた。
「先輩。私、大丈夫です。今すごく落ち着いてますから」
あれだけ話すのを渋ったくらいだから、今もまだ先輩は迷っているんだろう。
私は何を聞かされても大丈夫だから、と笑ってみせた。
「ったくお前は……怖がりの癖に、妙なとこで度胸がある」
先輩はやれやれ、と苦笑いして私の頭を撫でた。
「結論から言った方がいいか?」
結論。
私の事をどうして構うのか、その理由。
たとえそれが、妹のように思えるからとかでも、私はもう構わない。
ただ、私が先輩を好きだというこの気持ちには一点の曇りもないのだから。
「はい。どんな結論でも、私はもう自分の心に嘘はつけませんから」
「…………ん? ちょっと待て、そりゃどういう意味だ?」
「私、先輩が好きです」
「なっ……!?」
もっと、ドギマギして。
一言を告げるのがとても苦しいものだろうと思っていたのに。
人生初の「告白」は、微笑みすら浮かべてさらりと口を滑り出た。
「一目惚れだったみたいです。最初は声がすごく心地好いって感じて、それから笑った顔が素敵だなって思って……本当はすごく優しい人だって気付いて……今は、先輩のそばを離れるのが、泣いちゃいそうなくらい嫌だって思ってます。私、先輩のことが好きです」
穏やかに穏やかに言葉を重ねる私を、先輩は目を見開いて見つめていた。
そして、心底バツが悪そうに額に手を当てて。
「……先に言う奴があるか、この馬鹿……」
私を強く、抱きしめた。
「俺も一目惚れだったらしい。気付いたのはついさっきだけどな」
「先……輩……」
「考えてみりゃ、キスしたくなったり泊めてもいいと思うなんて、それ以外にないんだけどな。ただ、懐かれちゃいるが、お前のそれは憧れなのか恋心なのかわからなかった。だから試そうとしたんだ」
抱きしめて、髪を愛おしげに撫でてくれる先輩。
先輩のトレーナー越しに鼓動が聞こえて、それが、少し早い事に嬉しくなって。
でも、試そうとしたという言葉に心当たりがなくて。
少し首をひねって先輩の顔を見上げた。
「その先を見る勇気がないなら、今日のところは帰んなって言っただろ?」
「あ……!」
「まあ逃げられたわけだけどな。だから、憧れなんだろうと思ってた」
あの時私に選択権を与えたのは、そういう事だったのか……私は私で、先輩の心を測りかねてたけど、先輩も私の心を測りかねてたんだ……。
「お前が好きだ。……だからこそ、言うのを躊躇った」
先輩が腕を緩める。
「言えば、お前との出会いが無かったことになる……それが辛いな」
「せんぱい……?」
先輩は私から手を離し、ゆっくりと後ずさる。
「それとも、記憶は残したまま俺が消えるか?」
寄るな、と言われているようで私は一歩も動けない。
先輩の顔は笑っているけど、まるで泣いているようで。
「消えるって……何ですか、……そんなの嫌です」
「だが俺の事を忘れられるよりはいい」
じりじりと下がっていく先輩と、動けない私。
ただ、このまま動けないでいたら
先輩を永遠に失ってしまう
そんな確信だけが心に満ちていて。
「いや、先輩」
私は大きく首を振った。
瞼に滲む涙なんて気にしていられない。
手を伸ばさなければ。
そう思うのに、座り込んでしまいそうになる。
「……俺は」
──── バサ、と。
羽音が聞こえたと思うと、目の前に先輩の姿はなく。
「やだ、いやです!先輩!?」
私は半狂乱で叫ぶ。
消えるって、先輩が消えるって……どうして!
何が起こったのかなんて、わからないしわからなくていい。
ただ先輩がそこにいない恐怖だけが私を震わせる。
「……まだ、ここに居るさ」
「上」 ──── から。
先輩の声がした。
上……さっきまで先輩が立っていた場所の、「真上」
…………「空中」から。
泣きそうな、つらそうな微笑みを浮かべて私を「見下ろしている」先輩の背には、大きな黒い羽根があった ──── 。
「妖怪ってのは、本当に居るんだぜ」
(仮)26
先輩が、うーんと唸る。
「わかりかけてるような気はするんだよな。……少し、整理したい。独り言みたいになると思うが、聞いてくれるか?」
「はい……」
私が頷くと先輩は少しホッとしたようにサンキュ、と言った。
そして、少しまた考える仕草を見せて、ぽつりぽつりと話し出す。
「とにかく、構いたくて仕方がねぇんだ」
「へっ?」
「妙なものから守ることにしろ、飯を奢ることにしろ、何かにつけてお前を構いたいわけ」
「は、はぁ……」
「こうしてツーリングに連れてきたのもそうだ。ゲームの時もそうだな。お前さ、嬉しそうに笑うだろ。その顔を見ると満足感があるんだよな」
「そうなんですか……」
どう返事していいのかわからず、とりあえず相槌を打つことくらいしかできなかったが
先輩は気にする様子もなく、うんと頷いている。
独り言のようになると言っていたし、ひとつひとつ声に出して確認している感じなのかもしれない。
「泣いてたら泣き止ませてやらなきゃって思うし……これは前にも言ったか」
昨夜、冗談めかしてではあったけれど確かに言われた事だった。
「半分ジョークみたいにしちまったが、あの時言ったのは全部本音だよ。笑ってるとこ見るのが楽しいし、飽きねぇ」
「はい」
「…………お前が、懐いてくるから、可愛いと思っちまうんだと、思ってた」
先輩は、私の顔をじっと見つめたまま、心の内を確認するかの様に、ゆっくりと声に出す。
私は、今度は静かに頷いた。
「けど違ったんだよな。思い返してみると、お前が俺に懐くよりも前から構いたいと思ってたわけだし………………ああ、なんだそういうことか」
悩ましげだった先輩の顔がスッと和らいだ。
結論が出たらしい。
スッキリした、と表情で語った先輩は何故かそのまま固まって ────
みるみるうちに先輩の顔が朱に染まり、彼は口元を片手で覆うと窓の外へ視線を逸らしてしまう。
「俺は馬鹿か……」
ボソリと漏れ出た声。
口元にあった手は目元に移り、先輩は項垂れてしまった。
私は、ただオロオロするばかり。
何かしらの結論が出たらしいとはわかっても、先輩がここまで取り乱すのを見るのは初めてだし、意外すぎたから。
やがて先輩は背もたれに身を預けるようにもたれ、空を見つめる。
ハァ、と吐き出される溜息。
「こんな感情がそもそも何百年ぶりだって話なんだから、仕方ねぇか……」
なんか大袈裟なことを言ってるけど、とにかく先輩の中では相当な一大事だったらしいことはわかる。
「悪いな、とりあえず答えは出た」
先輩はフッと笑って、憑き物が落ちたかのように清々しい表情で私を見た。
「そ、それは良かったです……?」
「良かった、かどうかはわかんねぇな。残念ながら今から話す事は、お前の記憶には残らないだろうからな……」
「どう……いう、事ですか?」
記憶には残らないって?
意味がわからない、でも先輩は真顔だ。
冗談を言ってる訳では無いのは火を見るより明らかだった。
「なあ、常々不思議に思うんだけどよ、人って霊は信じるのに、妖(あやかし)は……妖怪は信じないよな」
急な話題転換に、へ? と間抜けな声しか出ない。
よ、妖怪?
奇しくも今度は私が悩むことになった。
先輩は、私の正体をまだ知らない。
祓い屋の「見習い」で、調査のために潜入したのだということを、知らない。
妖怪については、実は信じている。
はっきりと見たことはないのだが、父母は有名な祓い屋で、妖のお友達も沢山いるわよと母が話していたからだ。
でもそれを言っていいのだろうか……
……ああもう!
考えてても仕方ない、先輩のことは信じてる、だからありのままを話そう。
「実は……うち、ちょっと特殊な家系で……そういうの全面的に信じてます……」
おずおずと言えば、先輩は少し驚いて。
「もしかして、祓い屋か?」
「私はまだ、見習いで祓うことは出来ませんけど。おばーちゃんは寺の住職で、父も母も祓い屋として全国を飛び回ってます。お兄ちゃんも隣町で修行中ですし、いずれは私もそうなると……」
「なるほどな……それでお前からも力を感じるのか」
「えっ私にそんなのがあるんですか!?」
「何だ、自覚なしかよ。何がしかの力は感じるぜ。おそらく昨日から狙われてるのもそれが理由だろうな。しかし……それにしたって突飛な話になるだろうし、いくらお前でも信じられないと思うんだがなぁ」
ぽりぽりと頭をかいて先輩は困ったように私を見る。
出来れば今からでもなかった話にしないか?とその目は言っていて。
だけど私は、もう覚悟は出来ていた。
記憶には残らないという言葉、急な話題転換、先輩は焦ってるように見える。
言いかけたけれど、言わなければ良かったと思っているのもわかる。
だけど、今のままでは私はもう満足できない……
曖昧なままで、何となく仲良しで、なんて
振られるよりも、つらい。
だから、私は両手の拳をぐっと握り、先輩を真っ直ぐに見つめた。
「聞いてみなきゃ、わからないです」
「……聞く気はあるみたいだな。なら、それ飲んだら出るぞ。こう人の多いとこで出来る話じゃねぇしな」
先輩はそれ以上話す気はないらしく、また珈琲に口をつける。
どうして急に先輩があんな話をしたのかはわからない。
だけど、私たちの関係が、ここで大きく変わるのだという予感はあった。
それがどういう形になるのかはわからないけど……ただ、後悔だけはしないようにしよう。
私は心に決めて、カフェラテを飲み下すと席を立った。
先輩のカップも、もう空っぽ。
「行くか」
「はい」
「わかりかけてるような気はするんだよな。……少し、整理したい。独り言みたいになると思うが、聞いてくれるか?」
「はい……」
私が頷くと先輩は少しホッとしたようにサンキュ、と言った。
そして、少しまた考える仕草を見せて、ぽつりぽつりと話し出す。
「とにかく、構いたくて仕方がねぇんだ」
「へっ?」
「妙なものから守ることにしろ、飯を奢ることにしろ、何かにつけてお前を構いたいわけ」
「は、はぁ……」
「こうしてツーリングに連れてきたのもそうだ。ゲームの時もそうだな。お前さ、嬉しそうに笑うだろ。その顔を見ると満足感があるんだよな」
「そうなんですか……」
どう返事していいのかわからず、とりあえず相槌を打つことくらいしかできなかったが
先輩は気にする様子もなく、うんと頷いている。
独り言のようになると言っていたし、ひとつひとつ声に出して確認している感じなのかもしれない。
「泣いてたら泣き止ませてやらなきゃって思うし……これは前にも言ったか」
昨夜、冗談めかしてではあったけれど確かに言われた事だった。
「半分ジョークみたいにしちまったが、あの時言ったのは全部本音だよ。笑ってるとこ見るのが楽しいし、飽きねぇ」
「はい」
「…………お前が、懐いてくるから、可愛いと思っちまうんだと、思ってた」
先輩は、私の顔をじっと見つめたまま、心の内を確認するかの様に、ゆっくりと声に出す。
私は、今度は静かに頷いた。
「けど違ったんだよな。思い返してみると、お前が俺に懐くよりも前から構いたいと思ってたわけだし………………ああ、なんだそういうことか」
悩ましげだった先輩の顔がスッと和らいだ。
結論が出たらしい。
スッキリした、と表情で語った先輩は何故かそのまま固まって ────
みるみるうちに先輩の顔が朱に染まり、彼は口元を片手で覆うと窓の外へ視線を逸らしてしまう。
「俺は馬鹿か……」
ボソリと漏れ出た声。
口元にあった手は目元に移り、先輩は項垂れてしまった。
私は、ただオロオロするばかり。
何かしらの結論が出たらしいとはわかっても、先輩がここまで取り乱すのを見るのは初めてだし、意外すぎたから。
やがて先輩は背もたれに身を預けるようにもたれ、空を見つめる。
ハァ、と吐き出される溜息。
「こんな感情がそもそも何百年ぶりだって話なんだから、仕方ねぇか……」
なんか大袈裟なことを言ってるけど、とにかく先輩の中では相当な一大事だったらしいことはわかる。
「悪いな、とりあえず答えは出た」
先輩はフッと笑って、憑き物が落ちたかのように清々しい表情で私を見た。
「そ、それは良かったです……?」
「良かった、かどうかはわかんねぇな。残念ながら今から話す事は、お前の記憶には残らないだろうからな……」
「どう……いう、事ですか?」
記憶には残らないって?
意味がわからない、でも先輩は真顔だ。
冗談を言ってる訳では無いのは火を見るより明らかだった。
「なあ、常々不思議に思うんだけどよ、人って霊は信じるのに、妖(あやかし)は……妖怪は信じないよな」
急な話題転換に、へ? と間抜けな声しか出ない。
よ、妖怪?
奇しくも今度は私が悩むことになった。
先輩は、私の正体をまだ知らない。
祓い屋の「見習い」で、調査のために潜入したのだということを、知らない。
妖怪については、実は信じている。
はっきりと見たことはないのだが、父母は有名な祓い屋で、妖のお友達も沢山いるわよと母が話していたからだ。
でもそれを言っていいのだろうか……
……ああもう!
考えてても仕方ない、先輩のことは信じてる、だからありのままを話そう。
「実は……うち、ちょっと特殊な家系で……そういうの全面的に信じてます……」
おずおずと言えば、先輩は少し驚いて。
「もしかして、祓い屋か?」
「私はまだ、見習いで祓うことは出来ませんけど。おばーちゃんは寺の住職で、父も母も祓い屋として全国を飛び回ってます。お兄ちゃんも隣町で修行中ですし、いずれは私もそうなると……」
「なるほどな……それでお前からも力を感じるのか」
「えっ私にそんなのがあるんですか!?」
「何だ、自覚なしかよ。何がしかの力は感じるぜ。おそらく昨日から狙われてるのもそれが理由だろうな。しかし……それにしたって突飛な話になるだろうし、いくらお前でも信じられないと思うんだがなぁ」
ぽりぽりと頭をかいて先輩は困ったように私を見る。
出来れば今からでもなかった話にしないか?とその目は言っていて。
だけど私は、もう覚悟は出来ていた。
記憶には残らないという言葉、急な話題転換、先輩は焦ってるように見える。
言いかけたけれど、言わなければ良かったと思っているのもわかる。
だけど、今のままでは私はもう満足できない……
曖昧なままで、何となく仲良しで、なんて
振られるよりも、つらい。
だから、私は両手の拳をぐっと握り、先輩を真っ直ぐに見つめた。
「聞いてみなきゃ、わからないです」
「……聞く気はあるみたいだな。なら、それ飲んだら出るぞ。こう人の多いとこで出来る話じゃねぇしな」
先輩はそれ以上話す気はないらしく、また珈琲に口をつける。
どうして急に先輩があんな話をしたのかはわからない。
だけど、私たちの関係が、ここで大きく変わるのだという予感はあった。
それがどういう形になるのかはわからないけど……ただ、後悔だけはしないようにしよう。
私は心に決めて、カフェラテを飲み下すと席を立った。
先輩のカップも、もう空っぽ。
「行くか」
「はい」
(仮)25
宿泊施設の1階にあるレストランにたどり着き、30分ほど並んでようやく席に案内された時には、先輩はぐったりとしていた。
「人の多いとこは苦手なんだよな……」
「私もあんまり得意じゃないですけど……先輩ほんとにダメそうですね」
弱りきった先輩を見て、申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
「すいません、私の」
「せいじゃないからな」
謝ろうとしたら、鋭く制されてしまう。
「お前がここに俺を連れてきたわけじゃねぇし。……ま、日が悪かっただけだよ、気にすんな。あ、珈琲、ホットで」
ウェイターがやって来たのを見て、先輩がメニューも見ずに注文した。
私も、頼むものは決まっていたのでメニューは手に取らずに続く。
「えっと、カフェラテをお願いします」
ホットで宜しいですか? との問いにはいと答えるとウェイターは恭しく一礼して去って行った。
「そういや、今更な気もするんだが……」
「はい?」
先輩はポケットからスマートフォンを取り出して、画面に指を滑らせる。
「番号聞いてねぇなと思ってな」
言われて初めて私はスマートフォンの存在を思い出した。
サーッと血の気が引いてゆく。
おばあちゃんにねだって買ってもらったのだが、連絡先には家族や親戚しか登録されていないそれを使う機会はほとんどなく。
たまにお兄ちゃんからメッセージが来るくらいなのでマメに充電する習慣がなかったのだ。
ずっと自宅にいたから、減ったらやればいい、というスタンスが染み付いている。
慌てて自分のスマートフォンを取り出して画面のロックを解除してみると、画面上の電池マークは真っ赤だった。
「14%……」
まだ何とか生きていてくれて良かったと胸を撫で下ろす。
祖母からの着信でもあるかと思いきや、それもなく。
「あーそうか……悪い、充電させてやりゃ良かったな。俺は必要な時以外ずっと放ったらかしなんで気が付かなかった」
「いえ、私もそうなんで……存在を忘れちゃってました。まだ少し残ってるから大丈夫です……あ、番号ですよね」
どうやって自分の番号見るんだったかなぁ、と目を白黒させながらも何とかそれらしきものを表示させることに成功し
「これです」
テーブルの上に置いたスマートフォンを先輩の方へ押しやった。
先輩は自分のスマートフォンを片手で操作しながら私の番号を確認すると、素早く電話帳に登録していく。
「ことまは、和楽器の琴に馬でいいのか?」
「はい、そうです」
「……よし完了。じゃ俺の番号はこれな」
さっきとは逆に差し出された先輩のスマートフォンを見ながら、おぼつかない手つきで番号を入力していると、珈琲とカフェラテが運ばれてきた。
一口飲んで、名前の入力にかかってはっとした。
「あ、私、先輩の名前知らない……」
白神という姓は聞いたけど、フルネームを聞いたことがない。
「ん? そうだったか。隠してたわけじゃないんだけどな。こうだ」
先輩は自分のスマートフォンのメモ帳を開くと手早く数文字打ち込んで、またテーブルにそれを置いた。
「白神……僧、さん……」
「ああ」
「素敵なお名前ですね」
一文字一文字、大切に入力して「保存」する。
ドキドキする……
私は嬉しさを隠せずに微笑む。
好きな人の連絡先を知るというのは、どうしてこうも幸せな気分になるのだろうか。
「それはそうと」
先輩がスマートフォンをポケットに戻して、じっと私の顔を見つめた。
「昨日から、やけに怪異に見舞われてるようだが……心当たりはないのか?」
──── !!
確かに、1日に2回もあんな目に遭うというのは……
心当たりは、ない訳では無い。
私が調査に来たことを勘づかれた可能性は高い。
だけど、それを話していいものだろうか……
私が黙っているのを見て先輩はやれやれ、と溜息をついた。
「心当たりがありますって顔だな。だが言えない、か?」
「うっ……いえ、その……言うと先輩にまでご迷惑がかかるかもしれないと……いやもうかけまくっちゃってますよね実際」
2回とも先輩に助けて貰ってるわけだし……
「迷惑かけられた覚えはねーけどな」
先輩は珈琲を飲むと、優しく微笑んだ。
すっと私の頭に手を乗せ、ぼんぽんと軽く叩く。
「ほっとけないんだよなぁ、お前」
私は、嬉しい反面またお馴染みの疑問に苛まれていた。
これは、子供扱い?
頼りなくて放っておけないだけ?
私は、女の子として見てもらえてないの?
「……不満そうだな」
「えっ……」
顔に出ていたのかな。
慌ててそんなことはと言い募るが、先輩は腕を組むと難しい顔をして考え込んでしまった。
困らせるつもりなんてなかったのに。
謝らなきゃ、助けて貰って、こんなによくしてもらって、不満な顔を見せるなんて、失礼なことをしちゃった……!
私が焦って口を開こうとした瞬間
「何でだろうな」
先輩が、困惑したように私を見た。
「何でお前をこんなに構うんだろうな俺は」
「人の多いとこは苦手なんだよな……」
「私もあんまり得意じゃないですけど……先輩ほんとにダメそうですね」
弱りきった先輩を見て、申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
「すいません、私の」
「せいじゃないからな」
謝ろうとしたら、鋭く制されてしまう。
「お前がここに俺を連れてきたわけじゃねぇし。……ま、日が悪かっただけだよ、気にすんな。あ、珈琲、ホットで」
ウェイターがやって来たのを見て、先輩がメニューも見ずに注文した。
私も、頼むものは決まっていたのでメニューは手に取らずに続く。
「えっと、カフェラテをお願いします」
ホットで宜しいですか? との問いにはいと答えるとウェイターは恭しく一礼して去って行った。
「そういや、今更な気もするんだが……」
「はい?」
先輩はポケットからスマートフォンを取り出して、画面に指を滑らせる。
「番号聞いてねぇなと思ってな」
言われて初めて私はスマートフォンの存在を思い出した。
サーッと血の気が引いてゆく。
おばあちゃんにねだって買ってもらったのだが、連絡先には家族や親戚しか登録されていないそれを使う機会はほとんどなく。
たまにお兄ちゃんからメッセージが来るくらいなのでマメに充電する習慣がなかったのだ。
ずっと自宅にいたから、減ったらやればいい、というスタンスが染み付いている。
慌てて自分のスマートフォンを取り出して画面のロックを解除してみると、画面上の電池マークは真っ赤だった。
「14%……」
まだ何とか生きていてくれて良かったと胸を撫で下ろす。
祖母からの着信でもあるかと思いきや、それもなく。
「あーそうか……悪い、充電させてやりゃ良かったな。俺は必要な時以外ずっと放ったらかしなんで気が付かなかった」
「いえ、私もそうなんで……存在を忘れちゃってました。まだ少し残ってるから大丈夫です……あ、番号ですよね」
どうやって自分の番号見るんだったかなぁ、と目を白黒させながらも何とかそれらしきものを表示させることに成功し
「これです」
テーブルの上に置いたスマートフォンを先輩の方へ押しやった。
先輩は自分のスマートフォンを片手で操作しながら私の番号を確認すると、素早く電話帳に登録していく。
「ことまは、和楽器の琴に馬でいいのか?」
「はい、そうです」
「……よし完了。じゃ俺の番号はこれな」
さっきとは逆に差し出された先輩のスマートフォンを見ながら、おぼつかない手つきで番号を入力していると、珈琲とカフェラテが運ばれてきた。
一口飲んで、名前の入力にかかってはっとした。
「あ、私、先輩の名前知らない……」
白神という姓は聞いたけど、フルネームを聞いたことがない。
「ん? そうだったか。隠してたわけじゃないんだけどな。こうだ」
先輩は自分のスマートフォンのメモ帳を開くと手早く数文字打ち込んで、またテーブルにそれを置いた。
「白神……僧、さん……」
「ああ」
「素敵なお名前ですね」
一文字一文字、大切に入力して「保存」する。
ドキドキする……
私は嬉しさを隠せずに微笑む。
好きな人の連絡先を知るというのは、どうしてこうも幸せな気分になるのだろうか。
「それはそうと」
先輩がスマートフォンをポケットに戻して、じっと私の顔を見つめた。
「昨日から、やけに怪異に見舞われてるようだが……心当たりはないのか?」
──── !!
確かに、1日に2回もあんな目に遭うというのは……
心当たりは、ない訳では無い。
私が調査に来たことを勘づかれた可能性は高い。
だけど、それを話していいものだろうか……
私が黙っているのを見て先輩はやれやれ、と溜息をついた。
「心当たりがありますって顔だな。だが言えない、か?」
「うっ……いえ、その……言うと先輩にまでご迷惑がかかるかもしれないと……いやもうかけまくっちゃってますよね実際」
2回とも先輩に助けて貰ってるわけだし……
「迷惑かけられた覚えはねーけどな」
先輩は珈琲を飲むと、優しく微笑んだ。
すっと私の頭に手を乗せ、ぼんぽんと軽く叩く。
「ほっとけないんだよなぁ、お前」
私は、嬉しい反面またお馴染みの疑問に苛まれていた。
これは、子供扱い?
頼りなくて放っておけないだけ?
私は、女の子として見てもらえてないの?
「……不満そうだな」
「えっ……」
顔に出ていたのかな。
慌ててそんなことはと言い募るが、先輩は腕を組むと難しい顔をして考え込んでしまった。
困らせるつもりなんてなかったのに。
謝らなきゃ、助けて貰って、こんなによくしてもらって、不満な顔を見せるなんて、失礼なことをしちゃった……!
私が焦って口を開こうとした瞬間
「何でだろうな」
先輩が、困惑したように私を見た。
「何でお前をこんなに構うんだろうな俺は」
(仮)24
食堂での昼食のあと、食後の珈琲まで堪能していたら思いのほか時間は早く過ぎ。
出発したのは、14時だった。
近場なのでそれでも十分に余裕はあるが、帰りは外食しないと食堂の夕飯に間に合わせるには少々スケジュールがタイトすぎる。
「展望台の近くに宿泊施設があって、1階はレストランや土産物の店が入ってるんだ。レストランの飯は結構評判もいいし、夕飯はそこでいいだろ」
信号待ちで止まった時、先輩がそう言ったのだが
手持ち、大丈夫かな……
「安心しろよ、後輩に金払わせるつもりはねぇから」
「はいー!!」
何しろ、実家も近いし、あまり使う予定もなかったので本当に少ししか持ってきていないのだ。
さっきも、食べさせてもらってばかりなのが申し訳なくて、少しだけでも……と言ってみたものの、「気にすんじゃねぇ」と一蹴された。
信号が青に変わり、そのあとは運良く赤信号に引っかかることも無く、予定より早く途中の休憩場所に辿り着けた。
登るにつれ小さくなる街並み、山の綺麗な空気、そんなものを味わいながらだったので、えっもう? という感じだったが。
ここから目的地の展望台までは10分もかからないらしい。
遊園地や土産物店、屋台などが出ているそこは、同じようにツーリングやドライブに来た人や子供連れで賑わっている。
缶ジュースで喉の乾きを潤しながら、ベンチに腰掛けてふうと息をついた。
「そこそこ人はいるだろうと思ったが、多いな」
「行楽日和ってやつですもんね」
「まあな。大丈夫か、結構休み無しで走ったけど、疲れてないか?」
初めてバイクに乗せてもらったが、自転車の二人乗りなんて比較にならないほどのスピード感、風を切って走る爽快感。
それに、先輩に抱きついているという幸福感。
おしゃべりはあまり出来ないけど、これはこれで癖になりそう。
「全然平気です。風がすっごく気持ち良かったです!」
「お、わかるか。あの風を切って走る感覚はバイクならではなんだよな。怖かったとか言われなくてホッとしたぜ」
そう語る先輩は少し嬉しそうで。
すごく気を使って運転してくれてたのがわかるし、最初に力入れるなよ、俺に合わせてゆったり乗ってろと言われていたので怖くもなかったから、私は満面の笑みで頷きを返す。
ちなみに先輩の乗っているバイクは、ネイキッドとかいうタイプのものらしい。
私が知ってるのはすごく前傾姿勢になるスーパースポーツというタイプのものか、クルーザーとかいう真っ直ぐか仰け反るような姿勢で乗るタイプのものだけだったのだけど……あとは郵便屋さんとかが乗ってるような、スーパーカブ。
先輩のバイクはクルーザーよりはやや前傾するけれど、スーパースポーツのように完全に上体が前に倒れることはなく、私が腰に腕を回してつかまるにはとても楽だった。
こいつはバンディットって言うんだ、と後で先輩から聞いた。
「さて、あと少しだ。展望台まで行っちまうか」
「はい!」
飲み終えたジュースの空き缶をゴミ箱へ投げ入れ、私たちはいそいそと出発した。
……たどり着いた展望台は更に人で溢れており、先輩は一転、苦い顔をしたけれど。
「こりゃ予想以上だな……」
私も苦笑いを浮かべることしかできない。
「どうする」
帰るか、と聞かれて、首を振った。
「せっかく来たんだし……すぐ帰っちゃうのはもったいないです……」
ふたりきりの遠出。
デートなのかは、はっきりしないけど。
先輩と遊びに来ているという事実は、変わらないんだし。
すると先輩はそうだなと頷いて、手を差し出した。
私がキョトンとしていると、そっと手を取って。
「この人混みで迷子になられちゃ、探すのに骨が折れそうだからな」
「う……」
迷子になんてなりませんよと反論したかったけど、正直なところ迷子になりかねないと自分でも少し思っていたので返す言葉もなく、私は先輩の手をそっと握り返した。
これって、実際はどうだろうと、傍から見れば立派に「デート」に見えるんじゃないかなと少し照れくさくもあるが。
「どこに行くんですか?」
「そうだな。あっちに遊歩道があるらしいから、行ってみるか。ここよりは人が少ないかもしれねぇしな」
とにかく、この人混みから一刻も早く抜け出したい、と先輩は困ったように笑った。
歩きだせば、誰かとすれ違う度に肩や肘がぶつかり、スイマセンや会釈の繰り返し。
そして、遊歩道は更に人でごった返していて。
「なるほど、展望台へ向かう遊歩道、ね……」
先輩は、そりゃ人が少なくなるはずないよなぁとガックリ肩を落として。
あまりの人の多さに、フォローする言葉も思いつかない。
いよいよ困ったと先輩は元きた道を引き返すが、その途中で立ち止まり、考え込み
珍しく、私が先輩を待つこととなった。
今まではこうして自分が考え込み、先輩を待たせていたのだと思うと申し訳ない反面……確かに面白いとも思ってしまう。
まあ、それでも邪魔にならないようにちゃんと道の端へ寄ってから考え事をしている先輩と、ところ構わず固まっちゃう自分との出来の違いには少々凹まないでもないけど。
「こりゃやっぱり、避難するのが一番だな」
結論が出たらしく、私の手を引いて再び歩き出す先輩の足取りは軽い。
軽いけど……ちゃんと歩調は私に合わせてくれてるあたりが、先輩らしい。
出発したのは、14時だった。
近場なのでそれでも十分に余裕はあるが、帰りは外食しないと食堂の夕飯に間に合わせるには少々スケジュールがタイトすぎる。
「展望台の近くに宿泊施設があって、1階はレストランや土産物の店が入ってるんだ。レストランの飯は結構評判もいいし、夕飯はそこでいいだろ」
信号待ちで止まった時、先輩がそう言ったのだが
手持ち、大丈夫かな……
「安心しろよ、後輩に金払わせるつもりはねぇから」
「はいー!!」
何しろ、実家も近いし、あまり使う予定もなかったので本当に少ししか持ってきていないのだ。
さっきも、食べさせてもらってばかりなのが申し訳なくて、少しだけでも……と言ってみたものの、「気にすんじゃねぇ」と一蹴された。
信号が青に変わり、そのあとは運良く赤信号に引っかかることも無く、予定より早く途中の休憩場所に辿り着けた。
登るにつれ小さくなる街並み、山の綺麗な空気、そんなものを味わいながらだったので、えっもう? という感じだったが。
ここから目的地の展望台までは10分もかからないらしい。
遊園地や土産物店、屋台などが出ているそこは、同じようにツーリングやドライブに来た人や子供連れで賑わっている。
缶ジュースで喉の乾きを潤しながら、ベンチに腰掛けてふうと息をついた。
「そこそこ人はいるだろうと思ったが、多いな」
「行楽日和ってやつですもんね」
「まあな。大丈夫か、結構休み無しで走ったけど、疲れてないか?」
初めてバイクに乗せてもらったが、自転車の二人乗りなんて比較にならないほどのスピード感、風を切って走る爽快感。
それに、先輩に抱きついているという幸福感。
おしゃべりはあまり出来ないけど、これはこれで癖になりそう。
「全然平気です。風がすっごく気持ち良かったです!」
「お、わかるか。あの風を切って走る感覚はバイクならではなんだよな。怖かったとか言われなくてホッとしたぜ」
そう語る先輩は少し嬉しそうで。
すごく気を使って運転してくれてたのがわかるし、最初に力入れるなよ、俺に合わせてゆったり乗ってろと言われていたので怖くもなかったから、私は満面の笑みで頷きを返す。
ちなみに先輩の乗っているバイクは、ネイキッドとかいうタイプのものらしい。
私が知ってるのはすごく前傾姿勢になるスーパースポーツというタイプのものか、クルーザーとかいう真っ直ぐか仰け反るような姿勢で乗るタイプのものだけだったのだけど……あとは郵便屋さんとかが乗ってるような、スーパーカブ。
先輩のバイクはクルーザーよりはやや前傾するけれど、スーパースポーツのように完全に上体が前に倒れることはなく、私が腰に腕を回してつかまるにはとても楽だった。
こいつはバンディットって言うんだ、と後で先輩から聞いた。
「さて、あと少しだ。展望台まで行っちまうか」
「はい!」
飲み終えたジュースの空き缶をゴミ箱へ投げ入れ、私たちはいそいそと出発した。
……たどり着いた展望台は更に人で溢れており、先輩は一転、苦い顔をしたけれど。
「こりゃ予想以上だな……」
私も苦笑いを浮かべることしかできない。
「どうする」
帰るか、と聞かれて、首を振った。
「せっかく来たんだし……すぐ帰っちゃうのはもったいないです……」
ふたりきりの遠出。
デートなのかは、はっきりしないけど。
先輩と遊びに来ているという事実は、変わらないんだし。
すると先輩はそうだなと頷いて、手を差し出した。
私がキョトンとしていると、そっと手を取って。
「この人混みで迷子になられちゃ、探すのに骨が折れそうだからな」
「う……」
迷子になんてなりませんよと反論したかったけど、正直なところ迷子になりかねないと自分でも少し思っていたので返す言葉もなく、私は先輩の手をそっと握り返した。
これって、実際はどうだろうと、傍から見れば立派に「デート」に見えるんじゃないかなと少し照れくさくもあるが。
「どこに行くんですか?」
「そうだな。あっちに遊歩道があるらしいから、行ってみるか。ここよりは人が少ないかもしれねぇしな」
とにかく、この人混みから一刻も早く抜け出したい、と先輩は困ったように笑った。
歩きだせば、誰かとすれ違う度に肩や肘がぶつかり、スイマセンや会釈の繰り返し。
そして、遊歩道は更に人でごった返していて。
「なるほど、展望台へ向かう遊歩道、ね……」
先輩は、そりゃ人が少なくなるはずないよなぁとガックリ肩を落として。
あまりの人の多さに、フォローする言葉も思いつかない。
いよいよ困ったと先輩は元きた道を引き返すが、その途中で立ち止まり、考え込み
珍しく、私が先輩を待つこととなった。
今まではこうして自分が考え込み、先輩を待たせていたのだと思うと申し訳ない反面……確かに面白いとも思ってしまう。
まあ、それでも邪魔にならないようにちゃんと道の端へ寄ってから考え事をしている先輩と、ところ構わず固まっちゃう自分との出来の違いには少々凹まないでもないけど。
「こりゃやっぱり、避難するのが一番だな」
結論が出たらしく、私の手を引いて再び歩き出す先輩の足取りは軽い。
軽いけど……ちゃんと歩調は私に合わせてくれてるあたりが、先輩らしい。